「欠損家庭」という言葉があるのだそうだ。
昨日の話からの連想というわけでもないのだけれど、子供のいる家庭というのは、やはり欠けることなく両親ともに揃っていた方が良いように思う。出来れば、同居しないまでも、祖父、祖母ともきちんと交流があった方が良いだろうとも、思う。
「諍いの絶えない両親の元で育つくらいなら、すっぱり離婚でも何でもした方がむしろ子供の為」という見方もあるだろうけれども、それに対しては、「何故諍いが絶えないような仲になってしまったの?」と思うしかない。
昨日書いた「喧嘩をしようとギクシャクしようと気が合おうと合うまいと家族は家族」というのと矛盾しているように思われるかもしれないけれど、全然違う。
昨日言っていたのは「日々の生活を営み続けるならば」というのが前提になっている話であって、それを見て育てば、子供は「他人を許す」ことや「譲り合う」ことや「妥協する」ことなどの「他人との折り合いの付け方」を自然と学んでいくはずで、それはとても大切なことでしょう。
今日は、言ってみれば「もはや続ける気が無い諍い」の話だから、「何故そんな仲になってしまったの?」に、なる。
色々ありながらも、日々小さくマメに修復しながら、時にはごまかしながらでも、お互いの関係を維持していくのが家庭としては理想だろうと、それはそう思う。
ところで、だからと言って自分は昨日書いた友人を始め、子供がいながらにして離婚をしてしまったカップルというのを、軽蔑したり責めたりする気も、別にない。「ものわかりのいいこと言いやがって」と思われるかもしれないけれど、結果的に欠けてしまったのなら欠けてしまったで、そこでしか得られない体験や感性なんかも生まれるのだろうし、それは世界を構成する上で決して悪いことではないように思う。
理想の在り様からすれば、どうしたって「欠けている」ことは確かで、もちろん「それこそが子供にとって良いことなのだ!」などと主張をする気も、無いのだけれど。
心に棚。