【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


欠損家庭
 「欠損家庭」という言葉があるのだそうだ。

 昨日の話からの連想というわけでもないのだけれど、子供のいる家庭というのは、やはり欠けることなく両親ともに揃っていた方が良いように思う。出来れば、同居しないまでも、祖父、祖母ともきちんと交流があった方が良いだろうとも、思う。
 「諍いの絶えない両親の元で育つくらいなら、すっぱり離婚でも何でもした方がむしろ子供の為」という見方もあるだろうけれども、それに対しては、「何故諍いが絶えないような仲になってしまったの?」と思うしかない。

 昨日書いた「喧嘩をしようとギクシャクしようと気が合おうと合うまいと家族は家族」というのと矛盾しているように思われるかもしれないけれど、全然違う。
 昨日言っていたのは「日々の生活を営み続けるならば」というのが前提になっている話であって、それを見て育てば、子供は「他人を許す」ことや「譲り合う」ことや「妥協する」ことなどの「他人との折り合いの付け方」を自然と学んでいくはずで、それはとても大切なことでしょう。
 今日は、言ってみれば「もはや続ける気が無い諍い」の話だから、「何故そんな仲になってしまったの?」に、なる。

 色々ありながらも、日々小さくマメに修復しながら、時にはごまかしながらでも、お互いの関係を維持していくのが家庭としては理想だろうと、それはそう思う。
 
 ところで、だからと言って自分は昨日書いた友人を始め、子供がいながらにして離婚をしてしまったカップルというのを、軽蔑したり責めたりする気も、別にない。「ものわかりのいいこと言いやがって」と思われるかもしれないけれど、結果的に欠けてしまったのなら欠けてしまったで、そこでしか得られない体験や感性なんかも生まれるのだろうし、それは世界を構成する上で決して悪いことではないように思う。

 理想の在り様からすれば、どうしたって「欠けている」ことは確かで、もちろん「それこそが子供にとって良いことなのだ!」などと主張をする気も、無いのだけれど。

心に棚。
2011/08/09 (Tue)



美少女の未来
 友達に、エネルギッシュなシングルマザーがいる。現在6年生になるお嬢さん(超美少女!)と二人暮らし。
わたしが彼女と仲良くなった数年前には、二人で生活するようになって既に何年も経っていたらしい。

 先日久しぶりに彼女と会って色々と話をしたのだけど、ここのところ親子関係がギクシャクして喧嘩ばっかりしているのだそうだ。はたからは、とても仲の良い素敵な親子に見えるのだけど、家の中のことは他人にはわからない。

 ああ、こんな風に書くと、まるで喧嘩することやギクシャクすることが悪いことのように見えてしまうが、そんなことを言いたいわけじゃないです。

 母親である友人は、夫がいないという条件の中で、活き活きと本当によくやっているし(心から尊敬する)、お嬢さんも全然スレておらず、なんとも可愛らしい。それでもやはりお互いの感情のもつれなんかは避けられないのだろうな。日々の生活を営み続けるには、嬉しいことばかりでいられるわけがない。

 「他人様と一緒に暮らすのは大変」。

自分自身の親子関係を振り返ってみても、どちらかというと感情がもつれている(いた)時間の方が、長い。
 しかし逆に言うと、感情がもつれようと、愛情がねじれようと、気が合おうと合うまいと、好きだろうが嫌いだろうが、そんなことに関わらず家族は家族であるのだなと思うわけです。
 家族だからといって、無条件で気が合うなんてコトはまず無い。(当然のことながら「家族なんて愛情がねじれて当然!」などという、妙な主張をしたいわけではない)
 それでも家族は家族。わたしはわたしの家族が好きですよ。

 なんとも当たり前のつまらん話を書いておるが、実は子供の頃の自分とそのお嬢さんがちょっとリンクしているような気が(勝手に)していて、彼女がこれからどんな風に成長していくのかを、かなりの関心を持って見守っているのです。※わたしは美少女ではなかったけれども。



ところで最近は「動物と心」「バラバラゆえの美しさ」などについて、延々と考えるともなしに考えている。
2011/08/08 (Mon)


夏が始まる
夏が始まる
ご縁があって、横浜市内の古い町の夏祭りを見に行った。御神輿。
なんでも、ここの神社の御神輿というのは特に大きくて重いので、相当な人数が交代で担がなくてはならないのだけど、最近はあまり担ぎ手がいないので、地域以外からも応援してもらわないと大変なのだそう。(といって自分は担ぎませんでしたが)
昨年までは、神輿の休憩所でお酒やビールが振る舞われていたけれど、警察からの指導で今年からはそれは中止になったのですって。
お酒を振る舞うのは、何も所謂レクリエーションというわけではなくて、お清めの意味が主なのだろうに、それが軽んじられるというのは、なんともがっかりなことだ。

ギュっと鉢巻を締めたはっぴ姿の地元の老人がとてもお元気で(ふんどし姿の方も!)、色々とお話が聞けて面白かった。
「この祭を越えると毎年『夏が来た!』って思うんだよー!」と笑う赤ら顔。素敵。

祭囃子と蝉の声が美しかった。
2011/08/07 (Sun)


酒の神 闇の話
 時には言葉の無いところで魂を解き放つことが必要だ。

 高く跳ぼうと願うならば何よりも地に足を付けることが重要だよ。
 己の足と大地を意識しろ。
2011/08/07 (Sun)


シーツを洗う
 こんなに天気の良い週末は久しぶりで、とても嬉しい。布団も干せるし、シーツやタオルケットもジャンジャン洗濯出来る。

 洗濯をするという行為は、何かとても幸福感が伴う。何故だろう。
 だからといって、それが「好き」なのかと言うと、それはよくわからない。マメに洗濯をするわけではないし、取り込んだり、たたんだり、アイロンをかけたり、仕舞ったりと、そんなこんなは毎回毎回「面倒くさい‥」とは思っている。やらなくて済むのであれば、どちらかというとやりたくはない。

 しかし、幸福感は、まぎれもなく、ある。

 面倒臭さと幸福は、単純な比例や反比例といった関係には、無い。
2011/08/06 (Sat)


チョコミントアイスの記憶
 Twitterはやめてしまったけれど、友人や気になる人のページは、時間のある時に個別に読みに行っている。

 一度だって言葉を交わしたことはないけれど、とても好きな方がいて(有名人とかではない)、その方のツイートを読むのは既に日々の楽しみの一部になっている。あまり生活に直接関係のあることは書いてはいらしゃらないし、何かを主張しているわけでもない。言ってみれば、まあどうでもよいようなことを日に何回か呟いている。
 たまに、とても幸福な思い出のことをポツっと書かれていたりして、短文ゆえに具体的な情報なんかはとても少ないのだけど、多分、だからこそ、なんだかまるで自分の思い出であるかのような不思議な気分になる。(他人の幸福な記憶を借りてチョコミントアイスを食べる)

 ああゆうのは、どういった才能なのだろうか。それとも、自分との波長の問題なのだろうか。
 よくわからないけれど、確実なのは全く知らない相手だからこそ、その記憶を間借りすることが出来るのだろうなということ。実際の知り合いや友人では、情報が多すぎるし、自分の感情も関わってくるので、なかなかこうはいかない。

 その方とは別に、最近たまに読みに行くのが、宋文洲さんという評論家(?)の方(よく知らないけど)。

“人生の最も基本的な構成は時間である。お金のために時間を使うか、時間のためにお金を使うか、お金と関係なく時間を過ごすか。”
“ロマンと勇気のない人はお金と関係なく時間を過ごすことができないだろう。”

時間とどのように関わるかは、本当に一生の問題だ。

ロマンと勇気。
2011/08/05 (Fri)


断片
・あらゆる教育や躾というのは、つまり洗脳なのではなかろうか。

・まったく正直なことを言えば、自分にはものの善悪はわからぬ。怒るべきポイントも、嬉しがるポイントも、わからぬ。(本当はみんなそうなのじゃないだろうかと思っている)

・「このような場合はこのように思うべき」という躾の繰り返しで「社会」は成り立っている。(社会を成り立たすにはそのような躾をしなくてはならない)

・別にそれを批判するつもりは無いが、どのような社会を目指すのかで、躾の内容も変わるのだろうなとは思う。

・性善説も性悪説も、あまりピンとこない。

・動物には心がない。ゆえに悪意もない。

・自分は人間が好きだ。(動物も好きさ)

・綱引きをしたいわけじゃない。
2011/08/04 (Thu)


睡眠
わたし達。眠っている状態と起きている状態と、さて一体どちらが基本なのでしょうか。

起きているために眠るのか。
眠っているために起きるのか。

お互いがお互いを相互に援助するセキュリティシステムではあるのだろうけれど、どちらかというと、起きている状態の方が非常事態といった気がします。

おやすみなさい。
2011/08/03 (Wed)


人間は永遠を選ばない
人間は永遠を選ばない
ちょっと必要があり、昔の写真をひっくり返していた。バカみたいなのがわんさか出てきてゲラゲラ。
差し支えなさそうな感じの一枚を公開。雑なマチコ巻きで一体何をしたいんだ。この写真は24、5歳くらいのはず。こんな24歳女性て。

山下和美の『不思議な少年』5巻を読み直す。この巻の話はどれもよいな。力が沸いてくる。

わたしはTHE YELLOW MONKEYの『LOVE LOVE SHOW』という曲がたまらなく好きなんですよ。多分みんなの想像以上に好きですよ。(みんなって誰よ)
キャッチーなタイトルと曲調とはうらはらに、いわゆる明るい内容では無いのだけど。

“散らない花は無いけれども花は咲き続けるだろう”

これだけが裏切らない事実。

なんか色々と思い出したぞ。俺はやるぜ。
2011/08/03 (Wed)


8月
妙に涼しい8月の始まり。曇り。

最近は全然お酒を飲んでいない。さほど飲みたい気分にもならない。お酒を飲まないとなると、外で食事をするのもなんだかバカバカしくなるので、自然と家で料理をするようになる。まあ、テキトーなメニューだけども。煮込むようなものを作るときには、「圧力鍋さえあればこんなのあっという間に出来るのだろうな」と、思いを馳せる。

今月は、楽しみな予定がいくつかある。今週末には大好きなマウデリのライブがあるし、夏祭りの神輿を見に行ったりもする。

まだネットが繋がっていないのでアップ出来ませんが、毎日なにかしらは日記を書いています。相変わらず愚にもつかないどうでもよいようなことを、うすらぼんやり考えている。

10歳以上も年下の友人に「○○さんの(←わたしのこと)日記を読んでいると、自分が高校生くらいの頃に考えていて、そしていつしか考えなくなってしまったことを思い出す」というようなことを言われた。
褒め言葉ですよと言ってはくれたけれど、あんまりよいことでは無いような気がする。

いつまでもこんな風でいて、よいわけが無い。娘さん時代なんか、とっくの昔に過ぎ去っているのに。
2011/08/02 (Tue)



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