わたしはネット上で日記を書くことを数年来の習慣にしています。
「日記を書く」とか「写真を撮る」とかいうことを習慣にし始めた頃というのは、今まで考えなかったことを考えるようになったり、見えなかったもの(見ていなかったもの)に、目を向けるようになったり、ということに対する高揚感を自分の中に見出すものですが、しかし、はたと気が付くと視野が狭くなっているなと感じることもしばしば。
本当は、何日も何週間も何か月も何年もかけて考えたり思ったりするようなことであるのにも関わらず、いつの間にか日記をつけることが目的となってしまっていて、思いを熟成させることなく1日単位にまとめてなんとなく満足してしまう。とか。
そういう意味では、1日単位の日記であろうが、140文字のつぶやきであろうが、細切れにされているという事実に変わりはないのかなとは思う。
写真なんかは「どこが絵になるか」を見つける「目」という才能と、その瞬間の景色の広がりや空気を感じ取る感性というのは、おそらく本来であれば、同一線上のプラスとマイナスの関係には無いはずなのだけれども、凡人にはなかなかそれらをバランスよく兼ね備えるということが出来ないのではないだろうか。(まったくの思いつきで適当なことを書いているけれど、それが出来れば、多分プロの写真家になれる)
感性や思考を細切れにしないためには、「人は放っておくとすぐに細切れになるものだ。なぜなら人は面倒臭がりであるから」という事実をまず受け入れて、その上で「でもそれは嫌だな」とか「それじゃあつまらんな」と、思い続けるしか無いなと、そんなことはよく思います。
言うまでもなく、細切れになることでの瞬発力というのは、それはそれで確実に、ある。