星の巡り合わせなのか、気候の問題なのか何なのか、たぶん様々な要素が複雑に響き合った結果なのだろうと思うけど、具体的に何かがあったわけじゃないのに、何故か神様を身近に感じる時というのがある。
それはもうそれ自体が奇跡で、一年にそう何日もあることではない。
今日は、そんな日。
神様。
穴 |
響き合う日
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星の巡り合わせなのか、気候の問題なのか何なのか、たぶん様々な要素が複雑に響き合った結果なのだろうと思うけど、具体的に何かがあったわけじゃないのに、何故か神様を身近に感じる時というのがある。
それはもうそれ自体が奇跡で、一年にそう何日もあることではない。 今日は、そんな日。 神様。 |
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2012/01/25 (Wed)
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凹
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自分の器の小ささに凹む。くそ。
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2012/01/15 (Sun)
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2012
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2012年。
海岸で人々の幸福の香りを嗅ぐ。 みんな幸せであるといい。 |
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2012/01/01 (Sun)
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ヘアカラー
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髪の毛を染めた。すごく明るくしたとかいうわけではなくて、まあ白髪染めなんだけど。
白髪染めも含め、髪の毛を染めるなんてありえないことだと、ここ10年くらい避けてきた行為だったけど、信念なんて手放してみたところで意外とやっていける。最近は化粧もするようになった。 過去と今を綱引きさせないでいること。 |
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2011/12/24 (Sat)
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不法投棄
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自分の浅ましさや惨めさや恥ずかしさや狡さは、自分が一番よくわかってる。
よくわかってるけど、それらを世界のどこかに置き去りにして捨てるつもりは、無い。 不法投棄だけはしない。 |
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2011/12/13 (Tue)
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匂い
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ちょっと前のことだけど、横浜〜神奈川〜子安のあたりをウロウロと歩いた。首都高の道路とか、殺伐としているのに妙に生々しい街。あの金属的な匂い。
街の匂いってある。生きてる匂い。 |
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2011/12/12 (Mon)
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風通し
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ネット上に文章を書く時に、特定の誰かが読んでくれることを期待するようになったらもうお終いだと思っている。
どんなに一般化したり抽象化したりして書いてみても、自分だけはその動機を知っていて、己の浅ましさに辟易してしまう。 あるいは逆に、私生活のしがらみが無いからこそ書けることというのはやはりあって、書きたくても書けないようになってきたらこれもやっぱり良い状態ではない。 もしそうなってきたら、もう書くのをやめるか、場所を移すかしたほうがいいのかもしれない。 長いこと書いていると、ネットがきっかけで仲良くなって、自分の生活にも関わってきたりする人だっていないわけでは無いし、それ自体はとても有り難く素敵なことではあるのだけど。難しい。 などと浅ましく書く、夜。 |
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2011/12/05 (Mon)
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週末
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土曜日。競輪場のある古い町で飛ぶ鳥の群を見上げる晩秋の朝。
冷たい空気と眩しすぎる光の中をひたすらウロウロと歩き回っていると、貧しげな スナック街に出た。洗剤の匂いが鼻をかすめたので見上げてみると、2階に洗濯物なんかが干されていて、胸がギュッとなる。 どんな場所であれ、誰かがそこで生活を営んでいて、自分や家族の為に洗濯をしているという事実に思いを馳せると、もうそれだけで、人として生きることの美しさや滑稽さや、寂しさや面倒臭さ、あるいは喜び等で胸がいっぱいになって泣きたくなる。 たとえそれが意地悪な顔をしたバアさんだろうが、クズみたいなダメ人間だろうが、もちろん善良な人々であろうが例外無く。 たぶん、洗濯というのは、食べることや眠ることと違って、生存のためだけを考えれば余計なことではあるのだけど、だからといって決して贅沢な行為ではないという、絶妙な位置にあるからなのだろうと思う。(というか、今、思いついた) だから‥たとえば早朝に、家の前を掃いているような人を見るとやっぱり胸がギュっとするのだけれど、人々が掃除をしている様子を外から見られる機会というのはあんまり無いですね。 それにしても、古くて侘しい町というのに何故わたしはこうも心惹かれるのだろうか。 もっとキラキラしたものにときめいても良さそうなものだと思うし、そのようにキラキラした人たちが正直羨ましいと思います。 思うけれど、どうしても、どう転んでも、自分はそのようにはなれないみたい。 好きでこのようにあるわけではない。このようでしかあれないだけだ。 だから個性(と言っていいものかどうか知らないけれど)とはとてつもなく悲しいものだと思う。 生まれる前からずーっとこの場所にいたような気がするとか、生まれる前からずーっと知っていたような気がする誰かとか、そういうのって、ある。(でもきっと錯覚) |
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2011/11/29 (Tue)
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週末
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土曜日。競輪場のある古い町で飛ぶ鳥の群を見上げる晩秋の朝。
冷たい空気と眩しすぎる光の中をひたすらウロウロと歩き回っていると、貧しげな スナック街に出た。洗剤の匂いが鼻をかすめたので見上げてみると、2階に洗濯物なんかが干されていて、胸がギュッとなる。 どんな場所であれ、誰かがそこで生活を営んでいて、自分や家族の為に洗濯をしているという事実に思いを馳せると、もうそれだけで、人として生きることの美しさや滑稽さや、寂しさや面倒臭さ、あるいは喜び等で胸がいっぱいになって泣きたくなる。 たとえそれが意地悪な顔をしたバアさんだろうが、クズみたいなダメ人間だろうが、もちろん善良な人々であろうが例外無く。 たぶん、洗濯というのは、食べることや眠ることと違って、生存のためだけを考えれば余計なことではあるのだけど、だからといって決して贅沢な行為ではないという、絶妙な位置にあるからなのだろうと思う。(というか、今、思いついた) だから‥たとえば早朝に、家の前を掃いているような人を見るとやっぱり胸がギュっとするのだけれど、人々が掃除をしている様子を外から見られる機会というのはあんまり無いですね。 それにしても、古くて侘しい町というのに何故わたしはこうも心惹かれるのだろうか。 もっとキラキラしたものにときめいても良さそうなものだと思うし、そのようにキラキラした人たちが正直羨ましいと思います。 思うけれど、どうしても、どう転んでも、自分はそのようにはなれないみたい。 好きでこのようにあるわけではない。このようでしかあれないだけだ。 だから個性(と言っていいものかどうか知らないけれど)とはとてつもなく悲しいものだと思う。 生まれる前からずーっとこの場所にいたような気がするとか、生まれる前からずーっと知っていたような気がする誰かとか、そういうのって、ある。(でもきっと錯覚) |
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2011/11/29 (Tue)
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