【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


願い
願い
わたしに関わる人は皆、わたしとの関係に不安がらならないで欲しい。

もうそれだけでいいや。

と、思う時ある。

2012/02/13 (Mon)



ダイブ
癒すという言葉は嫌いだ

傷は癒すばかりが正解じゃない
傷を抱えたまま、それでも生きていく力強さがこそが必要

でもわたしは許されたい
許して欲しい

ごめんなさい
本当にごめんなさい
2012/02/12 (Sun)


2月
2月
わたしの泣き顔は本当に醜い。
みっともなくて滑稽。

それはきっとわたし自身がみっともなくて滑稽だからだ。

どこで間違ってしまったのだろう。
どこまで遡ればいいのだろう。

たまにある奇跡のように美しい日のおかげで、なんとか呼吸しているけれど。

本当にごめんなさい。
2012/02/12 (Sun)


家
去年の2月10日に、わたしは今の家に引っ越してきた。その翌日は大雪が降り、夜中に近所の川に掛かっている橋の上から白い景色を眺めてたのをよく覚えている。

その数ヶ月前までは、自分がこの土地に住むことになるなんて思ってもいなかったのに。

来年の今頃、わたしは一体何処で何をしているのかな。


「自分には帰る家がある」という安定感とはあまり縁の無い人生だった。
子供の頃から引っ越しが多かったし、 思春期を過ごした場所は「家」と呼べるような環境ではなかった。

「いつここを出て行くことになるのだろう」「いつまでここにいてもいいのだろう」という心許無さを抱えて過ごした体験があるか無いかというのは、その人格形成において決定的な違いを生むのだろうな。
ここで言ってる「家」というのは「家庭」という意味ではなくて、住処としての家。
わたしが、他人の家の窓を眺めるのが好きなのは、生い立ちと無関係では無いのだろう。

よい、悪いの話はしていない。
別に、ただそれだけ。

家。

2012/02/09 (Thu)


曇り空
曇り空
自ら進んで狡い人間になりたいとは思わないけれど、人間の狡さを受け入れられない人間にはならないでいようと思っている。


**


ああ、気分なんて天気のようなものなのだから、無意味に浮かれる時もあれば沈む時もあるね。イヤなことがあった結果で気分が沈むことは確かに多いけど、実はそうではなくて、気分が沈んでいるから、何かをイヤだと思うことだって同じくらいあると思うの。(要するに八つ当たり)

ねぇ、そこに問題があるから腹が立つの?
腹が立つからそこに問題があると思いたいの?


**


友人と、『どうしても許せない人がいるかどうか』という話をした。「こいつのせいで自分の人生が狂った」と思ってしまうような相手。

友人は「自分にはいる」と言ってた。「それが誰なのかは教えない」とも。
そして「どうしても許せない相手を許すことで・・云々」という話をしていたのだけど、詳しいことは忘れてしまった。わたしはいつでも何でも忘れてしまう。
いつでも何でも忘れてしまうから、人の言ったことや何かで読んだことをさも自分の考えたことのように話していることが、たぶんよくあるだろうなと思う。うん。だから、まあわたしの言ってることも好きなように持って行ってくれればいいよ。

どうしても許せない人。
わたしは‥。それは究極なことを言ってしまえば親とか、そんな話になってしまう。と、思った。それを「人生が狂った」と言って良いものかどうかはわからないけれど、そう言ってしまえるほどに影響力があるような関係というのは、家族くらいしか思い浮かばない。許す許さないの問題じゃない。それを含めての自分だから、許すというなら自分を許すしかない、と思う。(友人もそんな話をしていたのかもしれない)
でも、それは相手が誰であってもそうだね。


わたしは、あなたを、許します。


それにしても「教えない」というのはどういうことなのだろう。何か差し障りがあるのだろうか。大して意味なんか無いのかもしれない。わからない。


**


小さな復讐心は世の中に溢れている。
誰だってみんな寂しい。
2012/02/08 (Wed)


膝をつく
膝をつく
どうしたら生きることの切なさを越えることが出来るのだろう。
神様。わたしはゆるされたいです。

本当にごめんなさい。
2012/02/07 (Tue)


 変な話
Twitterを見ていたら「『サイゼリアで食後に勉強をしようと思っていたのに注意された』という内容のブログがある」と、話題になっていた。

(あくまでも)そのブログによると、話の内容は概ね以下の通り。

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・当人とその恋人二人で入店。

・二人とも始めからお互いの勉強とPCを使用した仕事をするつもりだった。

・夕飯がまだだったので料理を頼んだ。その際は一応店側に気を使って(長居出来るようにという意図もある)多めに注文。

・勉強・仕事の「ついでに」ご飯を食べるという感じ。

・注文してから料理が運ばれてくる間も、二人はお互いの勉強、仕事をしていた。

・その際に店側からは何の注意もされていない。

・食事中はテーブルがいっぱいなので勉強、仕事はしていない。

・ある程度料理を平らげてテーブルの上が空いたので、勉強、仕事を再開。(まだ少しお皿に料理が残っている)

・この時点では店側からは何の注意もされていない。

・料理の皿が空になり(ドリンクバーの飲み物はテーブル上に残っている様子)、店員が空いた皿を片付ける。その3分後に別の店員から「これから店内混みあう時間帯になりますので、お食事お済みでしたら書き物などはご遠慮頂いてもよろしいでしょうか…?」と言われる。

・その時点では店内は混んではおらず、本人達には「混んできたら店を出るか何か食事を注文しよう」という意志があった。

・その際、店側からは「退店してください」というような意味合いのことは言われていないようだ。

・当人は店側の対応に納得が出来ず、翌日サイゼリアのカスタマーセンターに電話。内容としては「全然混んでいないのに何故暗に追い出されるようなことを言われなくてはならないのかが不思議」

・カスタマーセンターの回答→「当店はレストランです。お食事をして頂く場ですので、お勉強やPCなどはご遠慮頂いております。そしてお声掛けにつきましては、店内の混雑状況に関わらずそのようなお客様がいらっしゃったらお声掛けをさせて頂いております。今回は、そのお客様へのお声掛けの際に店員側の説明不足だったということで、こちらから指導させて頂きます。」

・当人「ではその旨を入口に注意書きしておいて欲しい」との意見を伝える。

・カスタマーセンターの回答→「貴重なご意見ありがとうございます。ですが当店はレストランです。お客様にはお食事をして頂く場ですので、全店舗でそのような貼り紙はしないという方針になっております。」

・文面からは、特にカスタマーセンターの受け答えが慇懃無礼だとは感じられない。

・本人は納得出来ず、もうサイゼリアには行かないと書いている

・ブログを良く読むとわかるけど、2回にわかれた記事で「追い出された」と明記してあるのは一度だけ。それはカスタマーセンターとのやり取り内のセリフに出てくる「暗に追い出されるようなことを言われて‥」というような部分。地の文にはその文言は一切記載されていない。

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以上。


書いてあることをごく素直に読む限り、どちらが悪いとか悪くないとかでは無い。ブログのコメント欄を見ると、書いた当人も色々言われてるみたいだけど、別にタチの悪いクレーマーだとは思えないし、むしろごく一般的な人に思える。

こう言っては悪いけど、たかがこんなことがネット上で話題になることも含めて、なんだか根が深い問題だなと感じて、正直怖い。

たぶん様々な行き違いや、エゴや、思惑や、自意識や、コンプレックスや、品性や、経済や、その他諸々が複雑に絡み合ってるのだと思われる。
2012/02/01 (Wed)


身勝手な寂しみ
身勝手な寂しみ
何らかの形で、自分が誰かの人生から退場した後に、その人に自分のことを覚えていて欲しいかどうか、というようなことをよく考える。

忘れ去られるのは、気が遠くなる程に心許なく恐ろしいけれど、自分がいなくなったその人の人生で「過去の出来事」「過去にいた人」として、自分の知らない誰かに自分の事を話される事を考えると、それはそれで寂しくて骨が軋む。

自分の事を知っている人たち同士で「思い出話」をするのではなくて「昔こんな人がいてね‥」なんていう風に、自分の知らない誰かとの話題にされるのは耐え難い寂しさだ。

そこに自分がいない。

出会った人出会った人、全ての人達の人生と一生死ぬまで関わっていられるわけが無いのは、もちろんわかっている。だからこそ、いっそのこと、わたし自身のことなど忘れてしまえるくらいに、その人の生の一部になってしまえたらいいのにと、きっとそんな風に思ってる。

多分わたしはとても自分勝手なんだ。
こんなに勝手な人間もいないというくらいに勝手。

ああ。もう、そんなことより、外に出て行こう。
2012/02/01 (Wed)


星のリズム
星のリズム
日曜日。家にいるのもつまらないので海を見に行くことにした。海は色んな意味で怖いのでちょっと苦手なんだけど、たまに行きたくなる。

ガタゴトと電車に揺られてたどり着いた海岸。風は冷たいけれど、冬らしく日が良く照って、影に入らなければさほどの寒さでもない。

ぼんやりと、空や、遠くに見える丸い水平線や、海面を眺めながら、波や風の音に耳を傾ける。
海面を眺めていると、その奥にある蠢きに引き込まれるような気がしてとても怖い。
その怖さというのは、この星が大きな一つの生命で、自分はその一部なんだということを理屈じゃなくて感覚でわかってしまう、というような怖さ。自分が無くなるような怖さ。

変な話ではあるけど、自分を無くすことで自分を取り戻す、というようなことはあるだろう。
たぶんそれはどこまでを自分と見なすか、ということに関わる問題で、この日のわたしは何かから解放されたような気持ちになった。

「生きている」ということの逞しさは、寂しさとセットになっているけれど。

海鮮丼を食べて帰った。
2012/01/31 (Tue)


運行
ここのところずっーと、Coccoの『流星群』みたいな気持ちでいる。

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まわれ星よ 光放ち
進め 前へ前へ

どうか光れ たかが愛の歌よ
響け 窓を開けて 放て

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星がどれほどのスピードで動いているのか知ってる?

廻れ! 光れ! 進め! 放て!
2012/01/26 (Thu)



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