『コントロールを手放す』ということについては、ずっと自分のテーマになってる。
わたしだけではなくて、たぶん人間関係において、多くの人がはまり込むところであると思われるが、相手や周囲の人々(つまり自分以外の人間)をコントロールすることで保たれる関係性というのは、塩水で喉の渇きをいやそうとするようなもので、仮に一時的に上手く行ったとしても、結局は枯渇感や不安や恐れにしか行き着かない。
それは『信頼』からは最も遠い状況である。
しかし、『コントロールは不安しか生まないから手放しましょう』ということを言葉で理解出来るということと、実際に手放すということは次元が違う。感情が絡んでくるから、『わかってる。よくわかってる。でも、出来ない!』という状態になることがほとんどではないだろうか。
非常に理性的な人であればもしかしたら‥とは思うけれど、感情を理性で説得をするというのは、これはなかなか大変そうだ。「説得をする」じゃなくても、たとえば「納得をさせる」とか「押さえ込む」とかいうような言い回しでも良いけれど、ベクトルとしてなんとなくお互いが向き合って勝ち負けを決めるような、そんな気配の漂うやり方では、どこかで行き詰まりそうだ。
こういった場合、言葉や理性を一旦ある程度外したところからのダイレクトなアプローチが非常に有効であることは体感としてよくわかる。
しかし、だからと言ってそんな時でも言葉や理性が『不要』なのかと言うと、もちろんそんなことは絶対に無い。それはわたし達が人である以上守るべき一線だし、誇りでもあるわけだから。
そもそも。感情と理性というのは戦わせるような関係性ではなく、お互いに補い合い、援助し合う関係性であると思うので、上手いことバランスを取るべきだし、そこはどちらかというと理性が舵を取る領域なように感じる。
で。コントロールを手放すというのは、『自分が誰かをコントロールしない』ということはもちろんだけど、それと同時に『自分が誰かにコントロールされないでいる』『誰かに自分のことをコントロールさせないでいる』ということもやはり大切で、実はこちらの方が難しいのかもしれない。
なんてことをぼんやり考えていたら、何故だか知らないけど、異様に気分がモリモリしてきた。
モリモリ。