わたしの食生活というのは
朝:フルーツスムージー(たまにグリーンスムージー)に酵素ドリンクを入れたもの
昼:果物のみ2,3種類
夜:好きなもの(お酒も飲む)
というスタイルが基本なのだけど、会社などでそれを知っている人によく言われるのが「まだやってるの(続けているの)?」というもので、実にピンと来ない。これが普通なので「まだやってるの?」と言われても、実際、困るわけです。(一日3食食べている人に対しては「まだ続けているの?」とも「よく続くね」とも言わないのにね)
『認識を改める』ということが苦手な人がこういうことを言うのであろうなと思っている。
10年ほど前にタバコをやめた時も、20年ほど前にシャンプーや洗顔料を使うのをやめた時にも、同じようなことを思った。
わたしはそれらを『やめた』のだけど、いつまで経っても「まだ禁煙続けているの?」「まだ石鹸で頭洗ってるの?」と訊く人というのがいて、さらに「偉いね」とか言われることもあり、それがとても不思議だった。「タバコは吸わないので禁煙はしていません」とか「ええ普通に石鹸を使ってますよ」とか答えていたけれども。(そして別に偉くない)
そりゃあ、やめた当初というのは、確かにそれぞれ『禁じている』という状態ではあったけれども、状態は刻々と変化してゆきくわけですから。
もしかしたらこの先、一日3食食べるようになったり、あるいはタバコを吸うようになったりするのかもしれないけれど、だとしても、それは『禁を解く』わけではなくて、『変化』です。
あらゆる面で認識の更新がしなやかに行われている人の人生というのは、途切れることなくスムーズに連続しているだろうし、それが苦手な人というのは、認識を力ずくでリセットして、過去を切り捨てながら生きるのだろうな、なんて思うがいかがか。
わたしは、どうせならしなやかに連続した人生を生きたい。
ところで、今日ひょんなところで素敵なことを知りました。
『挨拶』という漢字1文字1文字にはそれぞれ意味があって
『挨』=心を開く
『拶』=その心に近づく
なのだそうです。素敵だ。
挨拶は『した者勝ち』だと思うことにしている(『出来ている』とは言わないが)。
挨拶をしない人がいると、カチンとしたりするんだけど、そういう人はそれだけで既に損をしている(負けている)わけだから、勝っているはずのこちらが腹を立てるのももったいない話だねってね。