【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


シュッ
シュッ
何日か前に、紐縛り睡眠について書いたけれど、ものは試しにと会社に紐(ネクタイ)を持参して仕事中にも膝上だけ縛って仕事をしてみているのだが、これがやはり非常に良い。

座って仕事をしていると、どうしても姿勢はだんだん崩れてくるし、あからさまに脚を組まないようにはしているものの、背中や腰への負担や歪みがどうしても気になる。

なので。そこに紐縛りですよ!

膝上をキュキュッと結ぶだけで、座り姿勢がこんなにも楽になるなんて。
脚をキュッと閉じているとそれだけで気持ちまで引き締まって、いつのまにか自分のセンターを意識出来るようになってくる。ような気がする。

昔の日本人は、和服で生活をしていて、脚なんか常に閉じていたわけですから、心身ともにシュッとしていたのであろうなということが実感を持って想像できる。

ところで最近の子供達を見ていると、女の子でも股を開いて電車の座席に座っていたりして、非常にだらしない印象を受けることが多いのだけど、それ自体より、それを『だらしない』と認識していない(ように見える)ところが問題だと感じる。
一緒にいる父親や母親など、大人も注意している様子が伺えない。

わたしはあまりお行儀のいい子供ではなかったし、お行儀のいい青春時代でもなかったし、お行儀のいい大人でもないので、疲れている時なんかは気がつくと股を開いて座っていたり、そうじゃなくても胡坐をかいたり仁王立ちになったりと色々やらかしていた(いる)けれど、一応だらしないという自覚はあった(ある)し、親にはしょっちゅう叱られていたものだけど。
若い頃などは、何故かそれが(だらしないことが)逆にイケてるなどと思っていた時期すらあって、勘違いも甚だしく恥ずかしい限りではあるけれど、それでもそこには『意志』が存在していた。しかし、前提として「これはだらしないことなんだ。よくないことなんだ」という認識が存在していないとなると、それはちょっと薄ら寒いですね。

そういえば友人に紐縛りの良さを力説したら「そんなにいいならやってみよう。それっていつまでやればいいの?」と言われて不思議な気持ちになった。つまり腰痛や何かの症状が無くなったらやめてもいいのかと訊かれたのだ。いや、一生やるんだよ‥。まあ、やらないかもしれないけど『お風呂に入る』とか『歯磨きをする』とかと同じ類の行為だと思うのだがいかがか。

2012/12/20 (Thu)



天地人
天地人
先日、『わたし達のこの身体というのは時間と空間の交差点のようなものであると感じる』というようなことを書いたけど、今朝いつものように体操やらを行っていた時にハタと浮かんだのは『結び目』というイメージで、『交差点』よりは『結び目』の方が、よりいっそうしっくりくるなと思った。

時間という広がりと空間という広がりが、なんかの拍子にギュッと結ばれたのが、今ココにある『わたくし』という現象なのかなと。いつか解けて拡散する。
もしかしたらどこかでそんなことを読んだのかもしれないけど。

あるいは垂直のエネルギーと水平のエネルギーの結び目と考えてもいい。
気功で、『天地人』という動き(?方法?なんか他にちゃんとした言い方があるのかもしれないけど良く知らない)を教えていただいて、自分はそれがとても好きなのだけど、それをやっていると(出来ているとは言わん)そんなことを違和感無く感じる。

きっと結び目は硬すぎてもゆる過ぎてもダメだなんだろうな。思いつきだけど。

なんてことをツラツラと考えていたら、ふとのし袋を連想した。お祝い事とかに使うあの素敵な袋。あの袋を結んでいるアレって水引とかいうんですよね。よく知らないけど。
あんな風な祝福に満ちたものとして自分自身が存在出来たらいいですよなぁー。

Living in Celebration.‥というか、自分自身が祝福。みたいな。

2012/12/18 (Tue)


2年
2年
今の部屋に越してきてもうすぐ2年になる。先日契約更新のお知らせが来て「もうそんなに経つのか」としみじみ感じ入るのと同時に、「更新料痛いな‥」とも正直思った。薄給のOLには実に痛い出費だ。

我が部屋というのは、いわゆる集合住宅として作られたアパートやマンションではなくて、元々一軒家の民家だったのを改造したもので、管理も大家さんが個人でやっている。しかし、大家さんはそこに住んでいるわけではないので、管理と言っても別に大したことをしてくれているわけでもなく、共有の階段などは割と荒れがち。

隣人は海外の方で、そのせいなのかどうなのか、自分のポストに投函されたチラシなんかが落ちたりしても気にしないようでそのまま放置されているので、わたしが自宅に持ち込んで捨てたり、階段の掃き掃除もたまに行っている。放っておくと埃だらけになるから。

今日も階段の掃除をしながら「家賃も管理費も払ってるのになんでわたしがこんなことしなくちゃいけないんだ。今回の更新を機に家賃交渉してみようかな。1000円か2000円くらい安くならないかな‥」とか考えてた。
考えていたのだけど、その後で急に猛烈に恥ずかしくなってしまった。我ながらあまりにもさもしい考え過ぎるなと思って。

この場合、何がさもしいかというと「家賃の交渉をしようかな」と発想した部分ではなくて、「お金を払ってるのに何でわたしがこんなことしないといけないんだ」と考えた部分であると思う。微妙だけど。

「お金を払っているのだからやってもらって当たり前。こっちは客」ってのは別に間違いでは無いのだろうけど、消費者意識に頭やられすぎ。そもそもゴミが落ちてたら拾うのが当たり前だし、汚れてたら掃除したくなるのが健全な感覚で、お金を払っているからやらなくてもいいというのは、あんまりにも品がない。下品。

ゴミが落ちているのをそのままにしているのは隣人の品性の問題だし、店子に掃除をさせてしまう程度の管理しか出来ないのは大家さんの問題で、こういう言い方は角が立ちそうだけど、その程度の相手のレベルに合わせてイライラするのはいかがなものかと。

ゴミくらい拾えばいいじゃない。
階段掃除くらいすればいいじゃない。
その上で必要なら家賃交渉すればいいじゃない。

それくらいフラットであれればいいじゃない。

で。これもまた角が立ちそうだが、こういった場合に逆に行きすぎて「掃除をさせていただいてありがとうございます☆」とか発想するのが、俗に言う(言わない)スピリチュアルボケで、それはそれで慎みがないと思う。



写真は今日散歩した町のヒトコマ。
2012/12/16 (Sun)


『モモ』を読んで心が震えない人とは結婚出来ない。
2012/12/16 (Sun)


魔法
魔法
エンデ語録

“魔法の道具のすべては、魔法使いが特定の事柄に注意と意志を集中するのを助ける補助手段にすぎません。本当はそれらは必要ありません。必要なものは、ある意味でずっと簡単で同時にずっと難しいのです。魔法を使おうとする人は、自分自身の本当の意志を見つけ、実行しなければなりません。”

“お金には神が持つ特質が全て備わっています。お金は人を結び付けもすれば、引き離しもします。お金は石をパンに変えることも、パンを石に変えることもできます。お金は奇跡を起こします。お金の増殖は不思議以外のなにものでもありません。それに、お金には不滅という性質まであるのですから。”


あまりにも当たり前のように使ってはいるけれど、改めて考えると、お金というのはとても不思議な存在で、魔法の御札(おふだ)と呼んでも差し支えないですよね。不思議。

2012/12/14 (Fri)


特殊なプレイではない
特殊なプレイではない
ここ数年地味に悩まされていた腰痛がいきなり改善されたので、静かに大喜びをしている。
わたしは年齢の割にはOL歴が浅くて、まだ5年くらいなのだけど、この5年でずいぶんとあちこち身体が悪くなった。

顕著だったのが、不眠と腰痛。

身体も頭も使わないで気ばかり変に使っているのだから不眠くらいなって当たり前だし、変な姿勢でずっと座っているから腰にも負担が掛かる。わかってる。デスクワークは身体に悪い。

現代の人々の生活のありように関しては思うところが色々とあるけれど、それはそれでとりあえず置いておいて、今話すべきことは、腰痛の改善ですよ。

ここにしばしば書いているブリージングのお教室では『3点縛り睡眠』というのを推奨している。
これは元々磯谷式健康法とかいうメソッドで行っているものらしいのだけど、膝上、膝下、足首の3点を紐で縛って眠ることで、睡眠中に股関節を正しい位置に調整して、根本から身体を整えるというものです。

数ヶ月前にこれを知って、半笑いでちょっとやってみようとしたことがあったけれど、その時は「とてもじゃないけどコレで眠れるわけがない!」と思ってすぐにやめてしまった。
しかし最近、実際にやっている人が、「朝起きたときの背中の痛みがなくなった」と話しているのを聞いて、再度チャレンジ。

で。真面目に4,5日やってみたら‥っ!これが‥っ!たしかに‥っ!朝目覚めた時の身体の軽さが全然違う‥っ!
実際には一晩ずっと縛られているわけではなくて、夜中にどうしても自分で解いてしまってはいるのだけど、それでも全然違うし、気が付いたら腰痛が改善されていた。
ええー、こんな簡単な(原始的な)方法で改善されていいの〜!?と思うけど。

ブリージングの各種メソッドの実践により、そもそも身体のベースアップは多少は出来ているとは思うけれど、腰痛に関しては、紐縛りで劇的に良くなった。

これはお金もまったく掛からないし、腰痛に限らず、身体を整える方法として本気でオススメします。皆に試してみて欲しいと心底思う。(自分の身体を整えることは、世界ぜんたいの幸福への貢献に繋がるからね)

詳しいやり方は(といって、紐で縛って寝るだけですが)、ブリージングの参考書的存在の『チンパンのブログ』でどうぞ。

http://ameblo.jp/senkotu/entry-10220199616.html?


さて、ブリージングを初めて四ヶ月。今回の紐縛りもそうだけど、日々の生活の中でストレッチや気功の自主稽古、朝食抜きで酵素を節約する食生活などをコツコツとやっていますが、目に見えて色々と楽になってきましたよ。最初に書いた不眠に関しては、かなり早い段階で改善されたし、たとえば風邪を引いても回復が異様に早い。

実は昨日は喉が大変に痛く、発熱、鼻水とたいそう辛い一日を過ごしたのだけど、一晩寝たらだいぶ良くなり、今日の夕方にはすっかり元気になっていた。(仕事は休んでいない)。
今までの自分のパターンでは、あの喉や身体の節々の痛みの感じだと、半月くらいはグズグズしていたはず。

風邪は引くべき時にひいて、速やかに抜けてもらうのが理想だと思うけど、少しは理想に近づいてきたみたいだ。まだまだ『以前に比べれば』というレベルではあるけれど。

気功の稽古は楽しくて仕方がない。教えてもらったいくつかの動きをテキトーにやってるだけでどんどん元気になる。別に頑張って真面目にやってるわけではなくて、やれば気持ちが良いし、元気になるのが実感としてわかるから、自らやりたくなるのですよ。
いわゆる『気を感じる』とかいうのはよくわからないけど、その辺は、まあ、必要なら後からついてくるのでしょう。

2012/12/14 (Fri)


タンポポ
タンポポ
前にもどこかで書いたような気がするけど、わたし達のこの身体というのは、時間と空間の交差点であるのだろうなと感じている。
時間と空間というのは、つまり宇宙ということなのですよね。

先日、ちょっとしたきっかけがあり、先祖供養ということについて少しだけ考えてみたのだけれども、わたし達の身体(今ココ)は過去にも未来にも繋がっているのだから、これを整えることで、かつて何があったにせよ、遡ってご先祖様も報われるのだろうなと考えられるし、未来への祝福にもなるだろうなと思った。

だからといって、過去も未来も全部自分で独り占めしようとしないように。『今ココ』だって常に動いている。

わたしもかつては未来であったし、いつかは過去になるのだ。



******


“たとえば、野に咲く、まったくありきたりのタンポポがある。あなたはなにを思い浮かべるだろう?ギザギザがある葉だろうか?黄色い花だろうか?それとも綿ぼうし?種をつけた小さな落下傘だろうか?このたくさんの外観の、なにがタンポポなのだろう?言うまでもなく、みんな一緒にしたものがそうだ。タンポポとは、毎年くり返される、生きたプロセスなのである。”

“そのタンポポとよばれる実在は、時を越えた全体として、これら数多い外観の後ろにある。五感はそれを知覚できない。五感がわたしたちにしらせるのはいつも、外に現れた現象の、ある一瞬の状態にすぎないからだ”

エンデ 『隠れているものの実在(エンデのメモ箱)』より


『エンデのメモ箱』を最近手に入れた。Twitterでエンデbotをみて、親近感がわいたので買い求めたのだ。

彼がどういう人なのかというのはよく知らない。『モモ』はいつか読まなくてはとは思いつつ、ずいぶん前から本棚には並んでいるけれど、実はまだ頁をめくっていない。

2012/12/11 (Tue)


安心
安心
たとえ『会っていない時間』が、どれだけあったとしたって、関係が終わることはないわけだし、わたしはいつだってここにいる。

消えてなくなるものなんか、なにも無いよ。
2012/12/09 (Sun)


シャリシャリ
シャリシャリ
お昼にリンゴをシャリシャリと食べていたら、急にとても不思議な気持ちになった。今自分の手の中にあるこのリンゴが、自分の身体の中に入っていくということの、気が遠くなるような不思議。
いや、全然不思議でも何でもないのだけど、ものを食べるという行為の神聖さを唐突に思い出す瞬間ってのが無いですか?具体的にソレを説明するのは難しいのだけど。

本当は毎回毎食ソレを感じているべきなのだろうけど、至らぬわたしは普段は実に雑にものを食べたりしている。それはとてもとても恥ずかしいことなのだけど。

ソレのようなことを感じて、急にさくらももこの詩集を読みたくなった。『まるむし帳』という詩集。何故そうなったのかは説明出来ない。

『まるむし帳』は、19歳くらいの時に読んで、自分はコレを一生手元に置いておこうと思った。そして2、3年に一度くらい頁を開いて、その度に「うむ」とか思ってる。

うむ。
2012/11/27 (Tue)


ヘアカット
ヘアカット
7、8ヶ月ぶりくらいにやっと髪を切ってさっぱりした(美容院嫌い)。
わたしが今行っているのは、隣町にあるこぢんまりとしたお店で、たぶんここ2年以内に開店した新しい所。男の人一人でやってるみたいなのだけど、すごく丁寧にカットしてくれるのが嬉しい。

カット中に、自分では普段絶対に触らないようなファッション雑誌をパラパラと眺めていた。30代向けのと40代向けの。あの手の雑誌は本当に恐ろしい。「仕事も恋愛も家庭も子育ても趣味もリラックスでさえも、素敵に充実していなくてはダメなんですよ!そして、素敵であるとは、充実しているとは、このようなことなのですよ!」と脅迫されているようなものだからな。モデルさんたちの笑顔とはウラハラに、キーキーした雰囲気が漂っていてなんとも息が詰まりますな。

雑誌の中に泉ピン子のお悩み相談みたいなコーナーがあって、うへえと思いながら読んでいたのだけど、『ママ友』との付き合いに悩んでいるという方からの相談が。
こういう悩みってチョイチョイ耳にするけど、『ママ友』っていう名前の呪いだとしか思えない。コレさえなければ、ちゃんと友達になれたかもしれない関係とか、逆にスルー出来た相手とか、絶対にいるよね。もちろんコレのおかげで仲良くなりやすいという側面もあるのだろうけど、まことに言葉、特に名前、名称というのは取り扱い注意ですな。
この言葉っていつくらいから使われだしたのだろうか。得をしている人ってのがいるんだろうなぁー。何故なら、名前が付いているモノは操作がしやすいから。
『アラフォー』とか『女子会』とかってのもね。操作されてるわけですよね。気を付けないとね。

くわばらくわばら。
2012/11/25 (Sun)



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