【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


循環
循環
唐突だが、お金については度々思いを巡らせる。
たとえば。必要もないのにどうでもいいものをつい買ってしまうというようなことは誰にでもあると思うけど、アレは『モノが欲しい』ということではなくて、『お金を使う』という行為そのものを求めているのだと感じる。
それは一体どういうことなのかと考えると、お金を使うことで自分以外のすべてと繋がっていたいということなのではないかと思う。

経済活動を通じて社会参加したいという側面もあろうが、もっと根源的なエネルギーの循環の中に身を置きたいというような要求というのは、あるだろうな。

お金を使うことは、食べ物を食べるということによく似ている(ような気がする)。

食べ物と言えば。どんな行程を経て食卓に上ろうと、食べ物が食べ物である限り、その有り難みというのに優越をつけることには抵抗がある。

マクドナルドのハンバーガーと松坂牛のステーキに根源的な差はあるのか。

たとえオートマチックで工業製品のような行程で加工されたものだとしても、食べ物は食べ物であると思うのだがいかがか。
2013/01/18 (Fri)



この世で一番キレイなもの
世界は常にただそのようにあるだけだ。美醜の判断をしているのは人間の勝手。

勝手というとアレだが、つまり人にはその能力がある。美しいと感じる能力だ。

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キレイなものは どこかに あるのではなくて
あなたの中に 眠ってるものなんだ
いい人はいいね 素直でいいね
キレイと思う 心がキレイなのさ

早川義夫『この世で一番キレイなもの』

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幸せも同じさ。
2013/01/14 (Mon)


雪
寒い!雪!

本日はたまたま用事があり鎌倉に行っていたのだけど、雪の鎌倉は美しかった。(駅付近しか歩かなかったですが)

用事が何も無かったら、東大まで飛んでいったかも。秋に東大の銀杏並木を見に行って感動して以来、しばしばあの場所には訪れているのだけど、その度に「ここの雪景色はさぞかしキレイだろうな」と思っていたのだ。この冬に再びチャンスはあるだろうか。

ところで毎回季節の変わり目には同じようなことを言ってるけど、暑さや寒さが極まる頃には、既にひっそりと次の季節が始まっているもので、今日みたいな日でも、どこか春の気配を感じます。


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さて。友達の何人かがTwitterをやっているので、たまに読んで回るのだけど、ほぼ競馬のことしか書いていない某氏のツイートが面白かったので勝手に紹介。

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@sarayashiki 武さんに投じられ散っていった金は一千や二千億円程度ではないと思うが、それだけの金の怨みを背負ってなお、皆にあれだけ祝福されるという人徳とスター性。もしかしたら日本で一番罵倒を受けた人間であるかもしれないにも関わらず、いつも笑顔を絶やさない人格。本当に素晴らしい人だ。心から尊敬する

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武豊さんという方は、競馬など1ミリも興味のないわたしでも知ってる。あの人ですよね。よくわからないけど、3500勝を達成したのだそうです。

人の恨みや憎しみの念というのは、やはりあると思う。人に恨まれ罵倒されて平気でいられる人なんていない。普通は。ダメージを受けて潰れるか、開き直って攻撃的になるかのどちらかじゃないですか?普通は。

先日、ブリージングのお教室でも、「どんなに本人が幸せになるべくあれこれ努力しても、20人くらいの人から『あいつは暗いヤツだ』『あいつはイヤなヤツだ』と思われていたらその人は幸せにはなれないですよ」と院長がおっしゃっていた。そういうことって、やっぱりあるんだよね。直接罵倒されないとしても、念ってのはあるよ。

武豊さんという人のことはよく知らないけど、淡々と穏やかなお顔をしているイメージしかない。競馬に興味が無いので、騎手に向けられる怨念のことなんか全く考えたこともなかったけど、友人の書いていることが本当なのだとしたら、まことに素晴らしい方であるなーと。

いいものを読んだ。


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本日は成人式でしたね。
雪の中の晴れ着姿は大変だったと思うけど、全国の新成人の皆さんおめでとうございます。
ようこそ楽しい大人の世界へ!
2013/01/14 (Mon)


ゲソッ
会社の移転前地獄でげっそり。
2013/01/12 (Sat)


癖
毎日の体操。今は割と足や脚を中心にほぐしたり伸ばしたり鍛えたりしている。

ブリージングのお教室で行う体操というのは、『ブリージングストレッチ』というくらいだから、まあストレッチであるので、筋トレのようなことは(少なくとも基本のクラスでは)ほとんどやらないのだけど、「脚だけは絶対に鍛えなさい」と、屈伸運動などは、けっこう指導されます。
『人は脚から衰えていく』『下半身さえしっかりしていれば、それだけで上半身がリラックスする』などの理由による。(他にも重要な理由はあるのだけど、書いて良いものか判断出来ないので割愛)

で。足や脚を整えて軽くすると、まあ実際にフットワークも軽くなるわけですよ。何かを億劫がるということが《出来なく》なる。えーっと、少なくとも体操をした後は。
わたしの脚など、もう衰えまくっているから、何もしなければすぐにまたダメになるし、そもそもちゃんと体操が出来ているわけではない。むしろ全然出来ない。それでも。やればやっただけは確実に軽くなるわけです。(やっても出来ないのだから、やらなかったらもう酷くなるだけ‥)

わたし達は通常、『己の身体の居心地が悪い』ということにすら、気付いていないのでは?自分のことを健康だと思っている人もたくさんいると思うけど、まだまだ全然、全っ然そんなもんじゃないんだよ人の身体ってのは(たぶん)!

ところで、これもお教室で聞いたのだけど、人のある特定の癖(たとえば盗癖や「そんなつもりはないのに手をあげてしまう」とか、まあ色々‥)というのは、身体の特定の『捻れ』で説明が出来るのだそうです。
だから、何かネガティブな癖があったとしても、身体を整えることで嘘みたいにソレが無くなるみたい。
しかし、個人的には、多少は癖がある方が人として面白いと思う。まあ、どんなにストレッチをしようが何をしようが、生きている限り完全に整うなんてことは(瞬間的にはあったとしても)無いと思っているので、その辺は安心しているがね。

心身の繋がりの深さというのはまことに底が知れず、どこまでも探求が出来そうです。しかも、基本的には身一つで出来るわけだから、こんなに楽しいことはない。

2013/01/09 (Wed)


一つ前の投稿で『音の振動』って書いたけど、なんかピンと来ませんね。

空気の振動をたまたま耳でキャッチしたものに『音』という名前を付けたのだ。人間が。
2013/01/07 (Mon)


ハヤシライスとミルクコーヒー
ハヤシライスとミルクコーヒー
昨日は、以前から気になっていた、本郷にあるフルーツパーラー(元フルーツパーラー?)で、友達とハヤシライスを食べた。
おばあさんが一人で切り盛りしていらっしゃるような古い古いお店で、年代物のレトロなレジスターが現役で頑張っていた。食後のミルクコーヒーも合わせて、とっても美味しくて居心地もよかったのでまた行きたいと思う。

友達とは仏性についてやマントラやマンダラ、あるいは神道とからめて日本人の世界観の話をしたり、空海の般若心経を見せびらかしたりして、とても楽しかった。

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「ちはやぶる」という、「神」にかかる言葉がある。
あれは「チ」=神(神道の。オロチ、とかのチ)、が、「はや」=ものすごい速度をもって、「ふる」=震えている、つまり風を起こして空気を震わせるもの、という意味なのだという。その、ものすごい速度をもって空気を震わせる動力というかエネルギーが、神なのだと。


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上記は友人が以前日記に書いていたもので(勝手に引用してすみませぬ)、昨日もこの話を直接聞いたりしていたのだけど、空気を震わせるもの、あるいは振動そのものに神らしき何かを感じるというのは、日本人としては割とすんなりと受け入れられるのではないだろうか。

マントラなど、ある特定の『音』の振動によって、大きな力と繋がるとかいうのは、やはりあるでしょうな。

そういえば昔ネパールで買ったチベタンベルがあって、今でも部屋の感じが悪いときとかに「チーン」と鳴らすのだけど、音の振動で空気が一気に整うし、やはりチベットのシンギングボールでのヒーリングなんかは、心身がかなりキレイになるのがわかる。(クリスタルボールはわたしは少し苦手)

仏壇によく置いてあるお椀形の「チーン」ってやるアレなんかも、音で場を整えているんですよね。

チーン。


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わたし達は『空(そら)』と言うと上方を見上げてしまいがちだけど、わたし達が生活しているここだって、空だ。空の底。
2013/01/07 (Mon)


寿
寿
人の心配を一切しないことに決めた。

具体的に助けを求められてもいないのに、誰かを心配するということは、実はその人を呪うことにしかならないからだ。
人の「こんなに落ち込んでいる」話にも安易に同調しない。聞くだけは聞いても。安易にそこに同調するということは、これもやはり呪いになる。落ち込みをわざわざ増幅させることは、ない。

否定もせず同調もせず、淡々と幸福を祈る。目線をあくまで幸福に向けることだ。

もちろん、助けを求められれば出来る限りのことはする。当たり前だ。

誰かや何かを心配するということと、幸福を祈るということは全く別の作業であることを肝に命じろ。常にだ。

それがわたしの修行。当面。

※別に何か思い詰めて生真面目にギリギリと考えているわけではない。そうした方が色々とスムーズになるというだけの話。
2013/01/06 (Sun)


自分の力ではない
自分の力ではない
“気功は歯磨きのようなものだから、毎日やらないと意味がない。つまり歯磨きというのは『磨き貯め』が出来ないもので、今日30分やったからといって明日はやらなくてもよいというものではない。気功も同じ。週に一回1時間やるなら、10分間でもいいから毎日やること”

‥‥と、いうような意味合いのことをどこかで読んだ。気功に限らずストレッチなんかも同様であろうと思う。
最近のわたしは「気功気功」と、いちいちうるさいわけだけど、まあ、書くだけではなく、毎日やっていますよ。自分なりに気に入った流れを一通り。(基本のストレッチもやってる。こちらの方が時間はかけてる)

しかし、やはり正月は気が弛むもので、2日ばかりサボってしまった。いや完全にサボったわけではないけど、たとえば毎日30分間で8行程やっていたとしたら、2行程を5分間だけとか、まあほとんどやっていないようなものなのだが、ゼロよりはマシかなくらいの感覚(そして二日酔いのまま)。

で。ゼロよりはそりゃあマシだとは思うけど、5分間はやはり5分間なりでしかないなと思った。体調もそうだけど、自分の場合はメンタル面に覿面に影響が出る。要するに気が塞ぐんだな。
「ハ。これはマズイ」と気づいて、セッセとあれやこれやをやりましたよ。ふー、危ない危ない。

‥‥アレですよ。自分は、ある特定の動きで世界から気なるものを分けて頂いているだけなのだから、ちょっと調子が良くなったからといって驕ってはいけませんな。自分の力じゃないんだよということは肝に命じておかねばなるまい。

ところで、気功の動きというのは、特に難しいものではないと思う。難しいものではないし、やろうと思えば誰でも出来る。そりゃあもちろんお稽古は絶対に必要だけど、なんというかアクロバティックな難しさというのは、無い(今のところわたしの知る限りにおいては)。しかし、それと知らなければ、日常では絶対にやらない動き。

すごいな。コレ、誰が考えたんだろ。


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たとえばの話。
わたしがどんなに自分自身のことを嫌おうが呪おうが(そんな事実は無い)、地球はわたしを支えることをやめない。絶対に。

だから感謝しろということでも無いが(そりゃあ感謝出来るならしたほうがもちろんいいわけだが)、そんな事実に目を向けると視野がすっと広がるね。
2013/01/04 (Fri)


神秘
自分が宝物だと思う事柄を人に教える時には、やはり充分に注意を払った方がいいなと思った。

こんなに素敵で重要な事なのだから、この人に是非とも知って欲しいと思っても、自分と同じように宝物として扱ってくれるとは限らない。粗末に扱われたり、そもそも受け取ってもらえないことだって、ある。

もちろんそれは相手が悪いわけではなくて、わたしの不徳のいたすところなわけだけど。

とても重要で大切なことを知ってしまった時に、それを親しい人に教えないということは、かなりの精神力が必要になる。
しかし『言わない』ことで、神秘に繋がることもあるのだろう。それも一つの修行なのかもしれない。

もう少し慎重になろう。今年は特にだ。

2013/01/03 (Thu)



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