唐突だが、お金については度々思いを巡らせる。
たとえば。必要もないのにどうでもいいものをつい買ってしまうというようなことは誰にでもあると思うけど、アレは『モノが欲しい』ということではなくて、『お金を使う』という行為そのものを求めているのだと感じる。
それは一体どういうことなのかと考えると、お金を使うことで自分以外のすべてと繋がっていたいということなのではないかと思う。
経済活動を通じて社会参加したいという側面もあろうが、もっと根源的なエネルギーの循環の中に身を置きたいというような要求というのは、あるだろうな。
お金を使うことは、食べ物を食べるということによく似ている(ような気がする)。
食べ物と言えば。どんな行程を経て食卓に上ろうと、食べ物が食べ物である限り、その有り難みというのに優越をつけることには抵抗がある。
マクドナルドのハンバーガーと松坂牛のステーキに根源的な差はあるのか。
たとえオートマチックで工業製品のような行程で加工されたものだとしても、食べ物は食べ物であると思うのだがいかがか。