【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


無題
無題
事情により金曜日土曜日と丸々二日間、自宅に閉じこもって過ごしていて、昨日久しぶりに外の空気を吸った。ほんのちょっと外に出るだけで、幸せがいくらでも転がってることがよくわかるね。
ひなたぼっこの犬とか、楽しそうな子供達の声とか、咲き始めた梅の香りとか、平和な洗濯物とか。

世界は美しい。ほいほい。


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苦労したらその分だけ成長出来るというのは本当かもしれないけれど、成長するためには苦労をしなくてはならないというのは間違いだと思う。

「自分は大した苦労をしていない」ということを引け目に感じてしまう人というのは案外多くて、その引け目が捻れてしまって色々問題を抱えているような人もいるように思う。

人って優しいからね。

苦労信仰なくなればいいのに。

2013/02/11 (Mon)



週刊口伝
週刊口伝
熱海合宿行って参りました。思うことが色々色々あってまとまらない。後日改めて書こうと思う(書けたら)。

今ぼんやりと考えているのは、やっぱり自分はSNSが嫌いだということと、もう少し我々はゆっくりと話す訓練をした方がよいということ。

ゆっくりと話すというのは、この場合『口調』という意味。

我々は通常、あまりにも早口に過ごしている。何に追われているのだというくらい。口調や話し方、声のトーンというのは、話の内容と同じくらい、場合によってはそれ以上に、その人自身を表している。
息せききって話す人はそのような人格だし、尻すぼみに話す人なら、やはりだいたいそのような人生だろう。
声を出して話すというのは、呼吸とダイレクトに関わっているわけだから、当たり前と言えば当たり前だ。

実は昔、あえてゆっくりと話す練習をしていたことがあるのだが、これが非常に難しい。自分だけがゆっくり話そうとしても、周りが早口だと、どうしても巻き込まれてしまうし、自分の気持ちが急いている時には、これもやはり難しい。
要するに力不足。自分の呼吸に周りを巻き込むだけの力が無かったし、自分自身のコントロールも出来なかった。

しかし、やはり口調はゆっくりの方がいい。天皇皇后両陛下くらいのスピードで本当はよいのではないかと、わたしは思う。あれくらいのスピードにじれったさを感じてイラつくのだとしたら、それは問題だと感じる(主に自分に言い聞かせている)。

ちょっとまた地味に訓練してみよう。

ところで最近したくだらないおしゃべりで、一番わたしのツボに入ったフレーズは『週刊口伝』。ゲラゲラ。ディアゴスティーニか。(もちろん冗談です、念のため)


2013/02/07 (Thu)


2月
今日はやけにあたたかい一日だった。

さて。明日から2泊で熱海合宿。月曜日、火曜日と、会社は休むことになる。

わたしのブリージングへの入れ込みようを心配して「変な宗教じゃないよね。大丈夫?」という声も聞こえてくるのだが、別に変な宗教じゃないです‥。
宗教じゃないし、たとえばの話だが、もしも今急に、お教室が無くなってしまったとしても、そりゃあショックは受けるだろうが、困って途方に暮れるようなことにはならない。
だって。わたしには今まで教えていただいたことがあって、それらが消えて無くなるわけではないのだし、また、それらはたとえお教室に通い続けたとしたって、自分でやるしかない類のものだもの。

それはそれとして、このような「それ、宗教じゃないの?」「宗教じゃないよ」というやりとりは一体なんなのだろうかとも思う。宗教に対して良い印象を持っている人は、どうも少ないようだ。それはそれで解せない。
わたし自身は特定の信仰は持ってはいないけれど、そもそも宗教というのは人が幸せであるためにあるのではないのだろうか。宗教を良く思わない風潮からは、「幸せでありたい」という願いや祈りそのものを、何か軽蔑しているようなニオイを感じるのだが、いかがだろうか。
『宗教』『信仰』などというと、なんとなく他力本願みたいな印象があるからなのだろうか。「そんなことで幸せになる人がいるなんて、そんなの許せない」というような悪意も、うっすら感じなくはない。

まあ、一言で宗教と言ったって、色んな人や団体があるから、もちろん中には関わりたくない人達もいるだろうが、それは何も宗教に限ったことでは無いですよね。

別に結論は無いが。

あと、よく思うのが。たとえば合掌なんかをするとなんとなく宗教じみた印象を与えるようだが、これは逆。つまり合掌という動作に、ある特定の効果がそもそもあったからこそ、それを宗教家が儀式(?)に取り入れたとみた方が自然だと思うのだがいかがか。

たまたま合掌を例に挙げてみたが、同じように発想が入れ替わってしまうということは、世の中に溢れている。

2013/02/02 (Sat)


help!
help!
同じように困っていても「助けてあげたい」と思わせるような人と「勝手に困ってればいいじゃん」としか思えない人。その人の存在が現実的に自分にとっての利益に繋がっているかどうかに関係なく、そういうことってありますよね。
「自分も不利益を被るのは重々承知だが、それでもコイツだけは助けたくない‥!」っていう相手だっているし、そもそも仲が良いわけでもないのに、なんか面倒をみてあげたくなっちゃう人もいるし。

まあ、はっきり言って不公平ですよ。実際世界というのはそのように出来ている。そこを理性で公平にしようとすると、無理が生じて歪むのだと思うがいかがか。

まずは、世界は不公平であると認めればいい。不公平という言い回しに問題があるなら、何か別の言い方でも良いけれど。

別に、「助けて貰えないのはお前が悪いんだから、一生そこで困ってろ」とか言いたいわけではない。や、個人的にそう思うことは、しょっちゅうあるわけだけど、わたし個人の好き嫌いなんかこの際どうでもいい。

あのね。もしも。今は『誰からも助けて貰えない』ような人であったとしても、それがずっと続くとは限らないですよ。

最近めっきり頭が悪くなったので、上手く文章が組み立てられない。
これは困った。誰か助けて。
2013/01/31 (Thu)


男子マインド
男子マインド
友人から借りっぱなしのDVDが急に観たくなり、ニヤニヤしながら再生。いい大人が男子マインド炸裂で暴れてる様子が画面に流れる。

なんというか、『男子マインド』ってのはありますよね。『男性』というか『男子』。

「男子マインドって何?」と言われると説明しにくいけど。でも皆わかるよね、きっと。

で。気功とかああいうよくわからない世界で伸びるには、この『男子マインド』が必要なんだと思う。年齢性別問わず。

崇高な志なんかよりも「あんなことが出来たらかっこいい!オレかっこいい!」とかっていう圧倒的な憧れとでも言いましょうか。


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今日はお粥に餅を混ぜ込んでみた。餅って美味しいな。

ところで、誤解されていそうなので一応書いておきますが、わたしは最近お粥ばかり食べていますが、お粥だけしか食べていないわけではないのでご心配なくー。


2013/01/29 (Tue)


目覚めよ
目覚めよ
来週、2泊で熱海に行く。ブリージングの酵素デトックス合宿があるのだ。一日中ブリージング三昧とは幸せすぎる。
実は今年はブリージングの気功一年講座にも参加するのだけど、それも2月から始まるので、もう楽しみで楽しみで仕方がない。

そのあたりはまた別に書くとして、わたしは旅行というものにさほど興味が無いし、経験もあまり無いので、2泊くらいだとどれくらいの荷物を持って行けばいいのかよくわからなくて困っていた。
大きいバックもないし、新調しないとダメかなとかちょっと悩んでいたのだけど、やはり合宿に参加するお友達が「わたしは登山に使うような大きなリュックで行くよ」と言っているのを聞いて思い出した。わたしもでっかいリュック、持っていたんだった。そういえば。

1998年に、ネパールとインドを旅した。所謂バックパッカーってやつ。旅行嫌いなわたしなのに、我ながら大冒険をしたものである。 その時に買ったのだ。
ちなみにその旅のタイトルは『反比例宣言98 目覚めの旅 〜インドへ〜』。何かをやる時にはタイトルを付けると楽しいよ。

とはいえ。インドに行ったからといって、特に人生は変わらないし、別に何も目覚めない。厳密に言うと、インドに行ったいう『だけ』では、何も変わらない。
インドに行った『だけ』で人生が変わるような人なら、インドに行かなくても日々自然に変化し続けるものだと、わたしは思う。

で。早速そのリュックを引っ張り出して、来週の合宿の準備を始めながら、あの時の旅のことを思い出している。
あの時は、主にブッダの聖地巡りのようなことをしていた。写真はネパールのルンビニー。ブッダ生誕の地。各国の寺と『ブッダが生まれたという事実』以外何もないところ。また行きたいよ。


は。『目覚め』といえば。
ブリージングのお教室で聞いたのだが、我々の太腿の毛細血管は、通常7、8割はサボっているのだそうだ。で、それらの毛細血管が活性化すると、ものすごく身体が変わるらしく、二人組でお互いの太腿を踏み合ったり、太腿を刺激する体操をしたりするのだけど。
院長はそれらを行う時に「目覚めよ我が太腿の毛細血管達よ!」と内言しているそうな。え、何それ。ちょっとかっこいい。

「目覚めよ我が毛細血管達よ!」

2013/01/27 (Sun)


 
季節というのは気温(だけ)で感じるものではない。
もちろんコンビニの棚で感じるものでもない。
2013/01/25 (Fri)


春!
春!
この春初めての菜の花!菜の花!菜の花!

諸君。わたしは菜の花が好きだ。食べ物の中で一番好きだと言っても過言ではないかもしれない。(いや、やはり言い過ぎかもしれない)

半分は辛子和えにして、半分はお粥にして一束食べたよ。幸せ過ぎる。

最近はお粥ばっかり食べている。一人用の小さな土鍋を買ったので、帰宅後にクツクツと米を煮詰めて(?)、毎日飽きもせず「幸せー」とか良いながら食べている。

菜の花粥は初めて試してみたけど、ちょっとヤバイくらいに美味しい。皆様ぜひ食べてみるとよいと思います。
あと、大根おろし粥もおすすめです。

しかし、お米というのは何故あんなにも膨らめるものなのか。水さえ与えておけばいくらでもいくらでも膨らみそうですよね。

ところで。わたしが菜の花の他に好きな食べ物と言えば。桃。銀杏。ほうれん草。春菊‥等々。よくよく見てみると、なんとなく「苦味」がキーワードのような。

苦味を求めるというのはなんなのでしょうか。『木火土金水』の五行説では、味覚もそれぞれ対応しているはずなので、調べてみようと思う。
2013/01/23 (Wed)


ハローハロー
ハローハロー
久しぶりに会う友達とは、ちゃんと「久しぶりだね!元気だった?会えて嬉しいよ!」と、思いたい。会わずにいた間、その人が何を感じどう過ごしていたのかに思いを馳せ、耳を傾けたいよ。

だからわたしはSNSは嫌いだ。時間の質がどうしようもなく悪くなる。

目に見えない『時間』に対する感覚が、ひっそりと、しかしごっそりと奪い取られているのが恐ろしい。恐ろしいと感じないとダメだと思う。

これはつまり『希望』を奪われているということだ。

どうぞお気をつけて。
2013/01/21 (Mon)


わたしのくしゃみはデカい
わたしのくしゃみはデカい
一月も半ばを過ぎると、日が延びているのだということをようやく実感出来るようになってくる。

ブリージングの古久澤院長がおっしゃるには、先週の水曜日から春が始まったのだそうだ。どういうことかと言うと、春の気を受けて、院長ご自身の頭蓋骨が開き始めたのが、先週の水曜日なのですって。

12月〜1月前半にかけて冬仕様で最高潮に閉じていた人の身体は、今くらいの時期から3月前半にかけて、頭蓋骨→肩甲骨→骨盤と、ドミノ倒しに次々と開いて春仕様になるのだそうだが、院長レベルになると「あ、今日から頭蓋骨が開き始めてるな」ってわかるみたいだ。

まあ凡人である我らでも、明確に「今日から」とはわからなくとも、なんとなくすでに春が始まっているというのは感じますよね。今までそれを身体に結びつけて考えたことは無かったけれど。

ちなみに、本来はどんどん開いてゆくはずなのになかなか開けない時に、身体は、たとえば『くしゃみ』という方法で強引に自らを開こうとするのだそうだ。

身体というシステムは、本当に上手いこと出来ている。

ところで、わたしのくしゃみはデカイ。友人に「‥顔に似合わないくしゃみだね」と呆れられる程度にはデカイ。しかし。こちらからすると、女子特有のあのチンマリしたくしゃみの方こそ不思議。

だって。くしゃみって気持ちいいじゃん。

院長じゃないけど、せっかく身体が自らを整えるべく、そのシステムを作動してくれようとしているのに、わざわざ押さえ込むとはもったいない。
もちろん、ある程度のマナーは必要だけど。


身体のシステムと言えば。
あらゆる感情は身体に蓄積されるし、先々の不幸も予め身体感覚として顕れる(らしい)。
『過去の蓄積である今の身体を見れば、その蓄積結果が招く未来がわかる』というようなことなのかな。手相などはまさにそうですよね。
ということは。これを逆手に取ると、『今ココにある身体を整えることで、未来はいくらでも改善出来る』ということである。身体とはまことに便利なものだ。

感情の問題を理性や心で解決するのは難しけど、身体を介したとたんにコントロールしやすくなるもので。

恨みや憎しみも。
恨みや憎しみも。
2013/01/21 (Mon)



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