【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


 
個人個人を見れば、そりゃあキラキラして善良で希望に満ちているようなモノでも、全体の仕組みとして見てみると、さてそれが世界を善くしているかどうか、はなはだ疑問であるようなコトなんて、残念ながらいくらでもある。

泣きたい。
苦しい。

人の邪悪な部分を利用した仕組みは怖くない。本当に怖いのは善なる部分を利用した仕組みだ。

全てが奏でるハーモニーにはほど遠いな。
僕は無力だ。

そんなの100年も前からわかってる。

ああ、でも神様。どうか僕達を忘れないでください。
2013/04/15 (Mon)



花はただ咲いているだけ
花はただ咲いているだけ
写真は先日の空なんだけど、正しい空の色という感じで手を合わせたくなる。いや違う。腕を広げたくなる。空の写真ばかりのしょっぱいブログ上等や。

最近少し仕事が忙しくて、帰宅も遅くなりがちなのだけど、ブリージングで教えていただいている体操や気功を毎日実践しているお陰で、さほど疲れないし、瞬間的にイラッとしたりすることはあっても、概ね機嫌良く過ごしている。機嫌がいい状態がデフォルトになっている。
「あれっ?わたしってこんなに朗らかな人間だったっけ?」と思うことが、最近特に多い。体操って本当にすごいな。ちょっと震えが来るくらいに、色々と凄い。

前々から思っていることだが、自分が本当に変化する時というのは、その変化に対して自分としては何のひっかかりも無かったりするもので、実は変化そのものに氣付かないことの方が多い。
根っ子が変われば咲く花も違ってくるだろうが、花は根っ子が変わったことを知ることが出来ないし(普通の場合は。注意深く観察すればわかる)、ただあるがままに咲いているだけだから。そういうこと。


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とよ田みのるさん今の連載作品『タケヲちゃん物怪録』が素晴らしすぎて胸がブルブルと震えてる。彼の描く世界は何故こんなにも美しく、正しく、優しく、善に満ちているのだろうか。持っているだけで幸福になれる氣がする。

変なイヤらしさや押しつけがましさが1ミリも無いんだよね。『いい話』『感動的な話』の皮を被った邪悪な作品ってなんかわかるじゃん。ニオイでわかるじゃん。それが無い。

彼の作品に触れて感動しないなんて人がいるとは思えないけど、そんな人がもしいたとしたら、申し訳ないが仲良くなれる氣はしない。

とよ田みのるさんのことは、何年か前にジャッキーという友人が『ラブロマ』という作品を強力にプッシュしていて「ピン!」と来たので速攻買って読んで号泣したんだ。
その友人が「よい」という作品は、まず間違いなく本当によい。お陰でわたしの人生も豊かになった。こんなところで何だが、本当に感謝している。

2013/04/14 (Sun)


エスペラールとエスペランサ
エスペラールとエスペランサ
空がキレイで風の強い、ザワザワした一日だった。

ブリージングを始めてから全然行けていないけど、ビオダンサの「ワークで感じたこと考えたことなどは、少なくとも一週間くらいはあえて言葉にしない。感想も言い合わない」という方針が、わたしはとても好きだ。言葉にしてしまうことで取りこぼされることがたくさんあるということをよくわかっている。

もともと何かの感想を述べるということがたいそう苦手だった。読書感想文なんか苦痛以外の何物でもない。しかし、何故か世間ではそれを求められる場面がしばしばある。アンケートとかそういった形で。
「どう感じましたか?」なんて訊かれたって「面白かった」とか「ジーンとした」とか「なんとも感じなかった」とかしか言えないっての。
心動かされた『何か』について、そんなにすぐに言葉に置き換えることなんか出来るかよ。一週間どころか、下手したら一生出来ないよ。一生出来なくたって、その『何か』は、わたしの中で静かに醗酵し、わたしの血となり肉となり、そして世界にフィードバックされていく。

こういった場合の感想なんていうのは、瓶に貼ったラベルのようなものに過ぎない。ラベルに価値が無いなんて言わないよ。「ラベルのようなものである」と認識することで、初めて価値が生まれるということだってあるのだ。


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 南の大陸で広く話されている言語で、「待つ」は「エスペラール」、「希望」は「エスペランサ」といいました。そして、考えてみれば「待つ」と「希望」は深く関わっているようでした。
人は、希望があるから待つのだし、待っている時には、心の中に希望が宿っているはずでした。

けれど、灰色のつくり出す世界では、「待つこと」はだめなことなのです。人びとはいつもイライラしていて、「早く早く」「速く速く」と急いでいます。


(中略)


待つこと(エスペラール)が消えてゆく世界では、もちろん希望(エスペランサ)も消えてゆきます。
人が何かを「心待ちにする」能力は衰えていって、眼の前にないものは、ただ「ない」ものになります。
けれど、本当は、眼の前にないものは、「待つ」ことのできることだと、クィルは思うのです。眼の前にないものを待つことによって、希望がふわりとその姿をあらわすのだと、思うのです。

小沢健二『うさぎ!』より

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2013/04/07 (Sun)


地を貫く
今年は桜の息が長いけど、流石に先日の雨でずいぶんと散ってしまった。花びらの薄ピンクと葉の若い緑のバランスは、一昨日あたりが実に可愛かったと思う。

通天貫地(つうてんかんち)と言う気功法がある。天に通じ地を貫くとはこれまたすさまじい名前。動き自体は一見難しくないのだが、わたしはコレが苦手だった。で。苦手ながらも、ここのところ5ヶ月ほど何となく毎日やっていたら、ここへきてようやく「コレ気持ちいいんじゃない!?」ということが少しだけわかってきた。

気功で言うところの『気持ち良い』というのは、『達成感』とか『頑張り感』とかの精神論的な(?)気持ち良さではなくて、本当に文字通り気持ちが良いんですよ。ただただ気持ちが良い。ずーっとやっていたくなる。
ただ、身体を使うことなので、当然のことながら筋力や柔軟性は必要になってくるし、どんなにずっとやっていたくとも、ある程度身体が出来ていなければそれも叶わないわけだが。

それにしても知りたいことがあったら割合簡単に調べられる現代社会において、気功についてはネットをのぞき込んでもほとんどその情報がない。これは素晴らしいことだ。

大切なことは、口から耳へ伝える。
語ること。耳を傾けること。そして、時間と場所を共有すること。


さて、ここのところ蜜柑の仲間をよく食べているが、最近のお気に入りは『せとか』。まったりとみっちりと甘くて実に美味しいのだが、特に先日近所の八百屋で買ったものは柑橘系にあるまじき甘さで、まるでパイナップルでも食べているかのようだった。4個入りで400円だから、まあ、お高い。高いだけある。

2013/04/04 (Thu)


遠く遠くつながれてく君や僕の生活
世界のどこで危険な物質が水に入りこんでも、水は国境もなくつながっていて、雲になって、雨になって、世界中の人や動物や植物の上に降りかかる。

「当たり前だ」クィルは思いました。「幸せになるなら、みんなで幸せになるしか、方法はない。」

「生きるのが苦しくて、強力な薬を飲む人がふえるなら、その苦しみを生み出す社会の仕組みを変えるしか、方法はない。自分は飲んでいないから大丈夫、って訳にはいかない。」

小沢健二 『うさぎ!』より


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『降りてゆく生き方』という映画を観に行った。
武田鉄矢さんが主演の映画で、映画館での公開はしておらず(っていうか出来ないのか)、DVDの販売もTV放映もしない、口コミだけで全国津々浦々で上映しているみたいです。『ガイアシンフォニー』なんかもそんな感じだったような記憶が。

善き映画でした。町おこし、どこまでもつながってゆくわたし達の暮らし、志、いのち。わたしがここ数年モヤモヤと考えたり考えなかったりしていたことをよく描いてくれていた。(具体的に町おこしやらを考えていたわけではないが。)

わたしはよく「すべてのアップが嫌い」というようなことを話すのだけど(レベルアップ・スキルアップ・メイクアップ・ドレスアップ等々)、なにからなにまで右肩上がりで続いていくわけないだろう。アップが必要だった時代があるのはわかる。それはその時代においては希望そのものだったのだ。しかし、昇ったらその分降りなくてはならないし、広げた風呂敷はいつかはたたまなくてはならない。
もういいかげんに今までの仕組みでものを考えるのはやめた方がいい。やめなくてはならない。意識を更新していかないと。

意識を更新出来ない限り、「生まれた時代のせいで貧乏くじを引かされた」という想いに、きっと苛まれるよ。そんなのつまんないじゃない。

わたしは晴れやかに、爽やかに、死にたい。そのためにはどう生きればいいのか。一生のテーマだな。

結論は、無い。答えなんて誰もくれない。テーマと共に生きるしかない。

2013/03/31 (Sun)


メルト
メルト
昨日今日と、まさに満開の桜。

今日は花見をした。今年の花見は酒も飲まず食べもせず、おしゃべりもせず(一人だから)、本も読まず、携帯もいじらず(写真は少し撮った)、ただただ桜の木の下でゴロゴロ寝っ転がっているだけというストイックなもの。しかし、かつて無いほどに気持ちの良い時間だった。


空気に溶けるよ。


こんな風に、桜の下でただただ無言で共に過ごせる人と、わたしは結婚をしようと思う。


一時間もゴロゴロしていたらさすがに寒くなった。


今日のスムージーは、菜の花、バナナ、キウイ。実に美味しい。


2013/03/24 (Sun)


川と桜
川と桜
思いがけず夜桜見物。隅田川にて。
フワフワの桜。
2013/03/23 (Sat)


GS
桜が咲いてしまった。今年は早い。
1月に古久澤院長が「今年の春の氣はめちゃくちゃ強い」とおっしゃっていたけど、こういうことなのかしら。

季節的なことなのだが、ここのところやけに早くに目が覚める。そろそろ早朝の裸足河原散歩を復活させても良い頃合いだ。
去年は早朝の河原で裸足で踊っていたものだがこれからは氣功のお稽古だな。しかし基本のストレッチもやりたいし、朝のタイムスケジュールを考えなくてはならない。

復活といえば。寒い間はお休みしていたグリーンスムージーを本日より解禁。バナナ、パイナップル、春菊というレシピ。
あーーー美味しいーーーーっ!!


さて、友人の皿屋敷が今月31日(日)に新宿中央公園にて花見の会を開催するそうです。今年で第3回目になる催しです。
わたしは当日の日中はなにやら良き映画の上映会に赴くのですが、夕方以降行けたら行こうと思っています。

一見さんでも誰も何も言わないと思いますので、勇氣のある方は是非ご参加を。
http://nejire.org/hanami/

知らせを聞いた時に「っていうか31日て、もう桜散ってんじゃねーかボケが」と思ってしまったのは内緒の話。
2013/03/19 (Tue)


私はただ幸せになりたいのです
私はただ幸せになりたいのです
近頃ヒットしているマンガ作品は、『共感』か『妄想』かのどちらかに偏りすぎてはいないだろうか。いや実際にちゃんとデータを取った訳ではないから、テキトーな空気感でしかものを言っていないので、まあ聞き流していただいて構いませんが。

『共感』出来れば安心するし『妄想』は楽しい。悪くない。悪くないがしかし。

‥‥そこに発見や夢はあるのだろうか。
共感も妄想も結局は自分本位だもの。そこに『摩擦』がない。摩擦が無いところに熱は生まれるだろうか。

もちろん、本もマンガも何かを学ぶことを目的に読むわけではないよ。面白いから読むだけ。

友達がよく、彼のホームページの日記に、あるマンガ作品の“本から何かを学ぼうなんて思ったら犬にされる。本も読まないようなら豚になる”というようなセリフ(正確ではない。すみません)を引用しているのだけど、これを読んだ時は震えたよね。

結果として何かを得ることはあるだろうが、「為になるから」なんていう姿勢で読んで犬にされるのは嫌だな。

要するに感動したいんだよ!

しかし今日日胸が震えるような面白い作品なんて、無いとは言わないけど、残念ながら売れないんじゃないかなと思う。本屋で平積みされている作品を眺めてるとそう思う。

作品名を挙げてしまって大変申し訳ないけど『聖☆おにいさん』なんかはわかりやすいサンプルじゃないですかね。
面白いよ。読みやすいし楽しいよ。でも感動するかっていったらしないよ。しかし『為にはなる』一面はあると思う。
だから『為になる』なんてのはそんな程度のもんなんだと思った方がいい。
念のため、別にわたしは『聖☆おにいさん』自体が嫌いとかは言っていないから。持ってるし。面白いとは思います。

みんな楽をしたいんだなと思う。感動ってのは疲れるもんだよ。摩擦だもの。

しかしまあ『FLIP-FLAP』くらいは読んで、ブルブルと胸を震わせてもよいと思うよ。

ブルブル。
2013/03/18 (Mon)


世界の果てにボサノバが鳴り響く
別に声を大にして主張するほどのことではないが、よい言葉にはよい氣があるというのは、わたしは本当だと思っている。

言葉は音と形と意味で出来ているわけだけど、たとえば音には場を整えたり乱したりする力があるし(←かつてボイスヒーリングを学んだので経験としても体感としてもそれは知っている)、どんな言葉だって何の脈絡もなくいきなりその意味とともに世界に出現したわけではないだろう。
そもそも、原始、我々が人とも呼べないようなウホウホしていた時代に、どのようにして言葉が生まれたのだろうかというところに想いを馳せると、なんとなくわかるような氣がしませんかね。どうですかね。

考え方としては『キレイなものはよい氣を出している』のではなく、『よい氣が集まるところにキレイなものが生まれる』の方がしっくりくる。というのと同じ。

よい氣のある音の組み合わせによい意味を与えたのだと考えた方が、発想としては自然じゃないですかね。

こういったことは、割とよくあって、たとえば「赤い色を身につけると元気になる」だと胡散臭いけど「元気になる“何か”は赤色として顕れる」と考えるとわかりやすい。
アロマテラピーなんかもそうですよね。「○○の香りには△△な効能がある」ではなく「△△な効能のある成分(?)は○○みたいな香りを発する」だし、味なんかもそうでしょう。
まあ、実に乱暴な言い方ではあるけれど。


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昨日は久しぶりに友人とゴールデン街のガイジンカラオケバーに乗り込んで暴れてきた。ずいぶんご無沙汰だったけど、やっぱり楽しいな。

それにしても世の中恋愛の歌が多すぎやしないか。
2013/03/17 (Sun)



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