【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


ベビベビベイビベイビベイビベイビベイベー
ベビベビベイビベイビベイビベイビベイベー
先日カラオケで友人が布袋寅泰の『スリル』(?)を熱唱しており、それ以来頭の中でHOTEIサウンドがエンドレス。誰か止めて。なんで男子は布袋が好きなんだ。デカイからか。


そういえば梅雨入りなのだそうですね。今日は気持ちよく晴れていましたけど。
雨は割りに好きなので、梅雨が嫌いというようなことは無いけれど、癖っ毛の扱いが大変で、それはやはり悩ましい。氣がついたら、かなり伸び放題になっていたので、いっそのことグリグリパーマをあてようか考え中。(今までの髪型で日常楽チンだったのが、坊主頭とグリグリパーマだったから)

ブリージングを始めて6月で10ヶ月になるのだが、飽きる氣配は1ミリも無く、もはや日常の一部になってしまっている。

「我々が生まれてから死ぬまで毎日一生使い続けるのは、身体とお金だけですよ」と古久澤院長がおっしゃっていたけれど、本当にいつでもどこでも何があっても死ぬまでわたしと共にあるのはこの身体ですから、身体のことは考えないわけにはいきませんね。(お金も)

さて、ブリージングに『雑巾がけ』と呼ばれているストレッチがある。ヨガの『下を向く犬のポーズ』みたいなヤツなんだけど、ブリージングではこのストレッチがやけに重要視されていて、必ず毎回体操の最後に行うし、途中にもチョイチョイ挟み込まれてくる。

わたしは自宅でも毎日基本のストレッチと氣功はやっていて、『雑巾がけ』も毎日毎日やっていました。この10ヶ月間。
しかし・・これがまるでピンと来ない。やってはいるものの、特に氣持ちが良いわけでもなければ、逆にメチャクチャ辛いわけでもない。「これが一体何なんだ」って感じで、何でこれが重要なのかもわからない。が、わからないなりに毎日やっていた。
で。ここへきてやっとこの氣持ちよさがわかって来ました(『出来るようになった』とか『重要性がわかった』とは言いません)。
超〜氣持ちいい!今まで何でわからなかったのかってくらいに、氣持ちがいい。快楽的と言っても言い過ぎでは無い。これだけでこの先の人生の幸せが保証されたと言っても良いかもしれない。(今も幸せだがな)

お稽古事(と言っていいのかわからないけど)というのは本当に『積み重ね』なんだなぁと身を持って実感。わからないなりに続けることの大切さよ。ストレッチでも氣功でも、こういうことが結構あります。ある日突然、その氣持ち良さに目覚めるってことが。
‥‥などとはしゃいでいるけれど、このストレッチは実に奥が深いらしく、わたしなどやっとこさ入口にたどり着いたくらいなものなのだろうと思う。

※『雑巾掛け』について興味のある方は、以下の記事がおすすめです。

『雑巾がけストレッチ』
http://ameblo.jp/senkotu/entry-10857602439.html


写真は『すがもん』。巣鴨のキャラクタらしいです。最近、巣鴨づいてるので。
2013/05/31 (Fri)



この世にあること
この世にあること
先日も少し書いたが『原初生命体としての人間』が面白い。面白いよ。

なつさんの日記で読んだ以下のセリフがシビレた。

「1に、この世にあること
2に、快くこの世にあること
生き様なんて5番目だ!!」


卯月妙子さんという方の『人間仮免中』というエッセイ漫画(?)に出てくるのだそうだ。メンヘラの作者が夜中にメソメソしているときに恋人が言ったセリフだそうです。

わたしはその作品を読んでいないし、上記の説明もかなりはしょって意訳(?)していますけどね。

まずはこの世にあること。この身体とともにこの世にいること。それだけで我々はもう世界に貢献しているのだよ。たぶん。

生き様なんかで悩むのはエゴイスティックかもな。

2013/05/29 (Wed)


ノーマット
長年地味に悩んでいた腰の不調がもうほとんど氣にならなくなった。なんて快適な毎日!

以前書いた、睡眠時の紐縛りに加え、一ヶ月ほど前から寝具を変えたのだ。
まず枕。桐で出来た半円型の硬い枕にした。コレを首の後ろの湾曲にそってあてて寝る。わたしは初めてこれを使った時には、えらく感動してしまった。頸椎はもちろんのこと、腰椎までぐぅと伸びる感じがして、実に実に気持ちが良いのだもの。感動のあまりハハハと笑ってしまった。
そしてマット。これまでは2年近く前に新調した硬めのマットレスを使っていて、これはこれでそれなりにお値段も張ったし(自分としては)良かったのだけど、そのマットレスを外して、ベッドの硬い板の上に薄〜い敷き布団(とも言えない何か)だけ敷いている。これがメチャクチャ良いですよ。
仰向けで寝ることが条件にはなるけれど、睡眠中に自重で背骨の歪みが整うわけですな。木の枕を併せて使うと、朝起きた時の「背骨が整えられている感」がハンパない。センターも決まる感じ。
本当は桐の板を入手して、その上にシーツだけを敷いて寝るのが理想なので、近いうちに購入する予定です。

これは昔からある『西式健康法』の一部なのですが、みんなやるといいですよ。わたしが下手に説明してもアレなんで、興味のある方は検索などしてみてください。
身体の歪みが酷い人は、最初はかなり辛いみたいですけど。

もうこれ以外の方法で寝る氣は1ミリも無いわたしなのだが、問題はマットレス。我が家は割に広いので今のところ部屋に置いてはあるけれど、今後再び使用することは無いと思われる‥。まだまだ新しいし悪いものではないので、捨てる氣になど全くなれないけど、だからといってこのまま部屋に置いておくのもね。

誰かもらってくれる人がいたら嬉しい。我こそはという方がもしいたら是非ご連絡を。(ベッド本体無しでマットレスだけですが)


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わたしは家では一瞬たりともTVを見ないのだけど(アンテナ繋げてない)、さきほど蕎麦屋でカツ煮を突っつきながら店内にあったTVから流れてきたニュースを見て絶望的な気分になった。
ハイビジョンよりも美しい画面のTVが発売される(された?)んだって。もう誰も欲しくないよそんなの。息苦しい。

そこまでして回さなきゃならない『経済』って、一体なんなのでしょうね。

お金は大切だと思うけど、今の世の中の仕組みではなかなかそう思えなくないですか?本来とても大切なはずのお金を人々が憎むように何者かが仕向けいるような氣がしてならないのだが。

2013/05/28 (Tue)


世界の法則
世界の法則
今夜は月がとても美しいですね。

どうにも椅子というものを使いこなすことが出来ない。自宅にはソファというものが置いてはあるが、ほとんど本来の機能は果たしておらず、だいたい物置き場か、背もたれになっている。
床(地面)から離れた生活が苦手というのは、やはり自分が日本人だからだろうか。

相変わらず『個性』って結局なんなのよってことを考えたり考えなかったりしているが、それはそれとして、今日は久しぶりに河原で火をおこして遊んだ。

火はいい。我々はもっと火を身近に感じなくてはならないよ。今や生活から火が隠されてしまい、その熱も恐ろしさも美しさもわからなくなっているけれども。

さて。どうやら世界には、ある法則があるらしい。あるらしいですよ、皆様。

2013/05/26 (Sun)


『原初生命体としての人間』
ブリージングで薦められて、野口三千三さんの『原初生命体としての人間』を読んでいる。

これは。とても美しい。

まだ途中ではあるのだが“体操とは、今「もの」であるからだを「こと」としてのからだに生まれ変えらせようとする営みである”とかいう一文を読んだだけで、その美しさに感動する。

この本を読んでいると、生命の根源とか、えーっと、小沢健二さんのあの名文『無色の混沌』にも通じる何かを感じる。なんだろうか。


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光は全ての色を含んで未分化。無色の混沌。それはそれのみとして、分けられずにあるもの。切り分けられていない、混然とした、美しく大きな力。それが人の心の中にある。

僕らの体はかつて星の一部だったと言う。それが結合して、体が在って、その心が通じ合ったりするのは、あまりにも驚異的で、奇跡で、美しい。

小沢健二『無色の混沌』より
2013/05/21 (Tue)


喜びの壁
喜びの壁
『マスターキートン』に『喜びの壁』という話がある。たしか4巻の一番始めに収録されていたと思う。今手元にないので間違っているかもしれないが。
「どんなに親しく身近な相手であっても、お互いを分かり合うなんて不可能。『分かり合っているはず』なんて思っていたとしても、それは幻想では。‥‥しかし、お互いのことをわかりあえなくたって、人は時に同じ喜びを共有することが出来る。」
というような内容で、わたしの胸に深く残っている。

個人と個人の分かり合いなんてたかがしれてる。

ネットで言うならSNSなんてのは、結局はお膳立てされた仕組みの中で、沢山の個人が右往左往しているだけだから、まあ、弱い。繋がるは簡単だけど、踏ん張る土台が無いからふわふわしていて、「わからない」と思ったら簡単に離れられる。「わからないなりに関わっていく」が難しい。

なんというか「関係」を「熟成」させる「場」が無いというのはつまらんね。


写真は前にもアップしたことはあるのだけど、我が家の近所の線路沿いにある木。
この木のシルエットがすごく好きだったのだけど、今朝みたら枝が全て切り落とされていた。
これとは別に、やはり近所にあった木が最近なくなった。その木はすごく大きかったのだけど、一昨年の秋の酷い嵐の日に半分倒れてしまって、切られてしまったのだ。それでも切り株は残っていたのだけど、何日か前にそれもなくなった。

街の様子は日々変わって行きます。
無くなるもの。現れるもの。

今日はちょっとした用事で巣鴨の商店街に行ってきた。老人と子供が元気なよい街でした。巣鴨は今まで2回くらいしか行ったことがなかったけど、今日ウロウロしてみて、無くなるものと現れるものの代謝がちょうどいい感じの街だなと思った。

乞食のじいさんがいたのに、じいさんの前に置かれた空き缶に小銭のひとつも入れることが出来なかった自分に後悔一つ。1000円くらい入れればよかったんだ。我ながら器が小さい。
2013/05/18 (Sat)


毎日の環境学
 平和って言葉は、想像力でできてる。みんなが、「ああだといいな、平和だな」という状態を想像する。ばくぜんとした、未来についての想像だ。
 細部が違うことは、問題じゃないんだ。
 平和を待ち、望むってこと自体が、人がみんなで持っている、すごい力だ。
 そんな話をしていたら、絵本の国にすごい広告があると聞いた。重労働をする人たちをターゲットにした甘いコーヒー飲料の広告で、ずばり「そうはいっても、いい世の中じゃないですか」というコピーがついているらしい。「色々あるが、平和なのだ。黙ってろ。砂糖たっぷりなコーヒー飲んで働け」ってわけだ。
 しかし、広告代理店が一生懸命「いい世の中じゃないですか」と世の中を説得しようとするようになったら、相当にまずい世の中なのだと思う。

 さっきも書いたように、「うちの国は平和だ」と国民が思うようにしたいのは、支配者なら当然。
 しかし、紙に「そうはいっても、うちの国は平和じゃないですか」と印刷して、吊り広告にして、電車に乗ってる人の目の前にぶらさげるってのは、ねえ。
 そんな話をしていたら、うさぎが言った。
「しかし…、あれだ。電車ってのは揺れるだろう?だから『平和じゃないですか』って印刷された吊り広告も、ずっと目の前で揺れるわけだ。絵本の国の通勤時間は長くて、平均で一時間以上とかいう。一時間以上、メッセージの書かれた紙を、目の前でユラユラ揺らされるってのは、催眠術とか、洗脳とか、そういうものに近くないか?そりゃ、どんどん、『うちの国は…、平和です…』ってことになってくるだろう」と。
 広告ってのは、洗脳と大して変わらない。新聞、TV、映画、スポーツ、たくさんのイメージが、あたしらの中に降りつもっていく。学校、ネット、広告代理店、NGO、携帯電話、たくさんの仕組みが、あたしたちを誘導する。あたしたちを取り囲む。あたしたちが生きている、毎日の環境。
 環境って、あたしたちを取り囲むもの全部だ。空も、川も、町に並ぶ看板も、雑誌の表紙も、聞こえてくる音楽も、友達との関係も。
 あたしたちが手で触れるもの、目にするもの、聞くもの、食べるもの、鼻でかぐもの。見えないもの、聞こえないもの。触れられないもの。全部があたしたちの日々の環境をつくってる。
 灰色は「環境」って言葉で、水や空気の汚染だけをイメージさせようとする。だからちょっと見渡すと「環境にやさしく」と、広告が出ていたりする。けれど、その広告に描いてある、不気味な色の二頭身のキャラクターだって、環境の一部だ。あたしたちの町に現れて、あたしたちを取り囲む。
 あたしたちの体や、気持ちを取り囲むもの。
 その全部を考えること、そのつながりを理解することは、けっこう面白い、とは思わないだろうか?
 今どきの世には「自分」に興味がある人が多いけれど、その「自分」がどうやってつくられているか、気がついてみたいとは思わないのかな、と思う。


小沢健二 『うさぎ!』より
2013/05/15 (Wed)


アテネのタイモン
アテネのタイモン
この世に自分の物になる物なんて何一つ無いよ。強いて言えば『名前』くらいなものか。

だから『名前』の力はものすごいと言っているのだ。

明日は確か浅草で楠美津香さんのひとりシェイクスピアがあったような。体調が良ければ行ってみよう。(風邪ひいた)

風邪をひいて何の疑いも持たず薬を飲むのが当たり前のような世の中も、女の人の化粧を当たり前の身だしなみとする世の中もわたしは嫌いだ。

「女の化粧は男のネクタイのようなもの」とか言ってた人がいるが、じゃあネクタイってのは一体なんなのか、そこからまず疑ってみたらいかがでしょうか。

2013/05/09 (Thu)


世界の力
世界の力
空というのは一体どこから始まるのだろうと、子供の頃から思っていた。空の色はどこから始まっているんだろうなんて、大人になった今でも、相変わらず不思議に感じる。


お金について考える。お金が本来持っているはずの力が、どんどんやせ細っている世の中について考えてる。
お金は、ただの数字の移動ではない。


ところでこの連休は、恐ろしく充実した毎日だった。それはまたいずれ書こう。
2013/05/07 (Tue)


死ぬ準備は出来ている
死ぬ準備は出来ている
本屋でウロウロしていて、ふと久しぶりに音楽雑誌を手にしたのだけど、イギーポップの新譜が出た(出る?)らしい。タイトル『Ready to Die』。格好いい。やっぱりある程度の年齢になったら、自分の死に方に思いを馳せないとダメですね。

イギーポップは、まあパンク界の大御所で過激なパフォーマンスをしたりしてた(今もそうなのかな?)人だけど、意外にも(?)氣功をやってるんだよね。太極拳だったかな。昔読んだインタビューに書いてありました。
すんごい良い身体してるけど、ジムで鍛えるとかじゃなくて、氣功(だか太極拳だか)を毎朝やってるのだそうです。

氣功なんかやっていると、やはり『死』ということに意識が向くのだろうか。


***


久しぶりに草むしりをした。草むしりを始める前は手が死ぬほど冷たかったけど、やり始めたらあっという間に温かくなった。
大地のエネルギーはやはりすごい。
2013/05/06 (Mon)



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