【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


 三丁目で逢いましょう
最新式のサプリメントで寂しさ無くしたおっさんが
お産に立ち会い大騒ぎ

桜の季節が過ぎる頃
五月雨が五月蠅いと叫んでいたが
今やサクセスまっしぐら

サラマンダーとうさぎさんは思いの外仲良しで
誘い合っては憂さ晴らしゴーゴー
財布の中身はあっという間にスッカラカン
おっさんのサスペンダーは賭に負けたサラマンダーの尻尾だって

人攫い横行
おっさん成功

さすらいのヒーローはどこにいる?
2014/06/19 (Thu)



ネガティブパターン
『あなたがわたしの幸福を願うのならば、わたしは一生不幸のままで結構です』
これが、わたしのネガティブパターンなんです。簡単に言うと、不毛な復讐心。

わたしはわたしの人生において、いつもいつもここで引っかかってる氣がする。

自分を捨てた人、自分を踏みつけた人、自分を馬鹿にした人、自分を笑い物にした人、その環境、世界の全てに対する復讐心。
「あなたのせいでわたしはこんなに惨めなの。ねえ、少しは胸が疼かない?罪悪感くらい感じるでしょ?どうよ?」
って、見せつけたいと想ってる。無意識に。だから『幸福である』ってのは、実はかなり都合が悪い。わたしにとって。

わたしも馬鹿じゃないんで、自分のこのパターンにはとっくの昔に氣付いてたわけですよ。で、その馬鹿らしさも、もちろんわかってるわけ。
だってそうじゃん。わたしがわたしの不幸を見せつけてやりたい相手なんて、ほとんどがわたしの人生からとっくの昔に退場してて、見せつけるあてなんてないわけ。たとえ見せつけることが出来たって、たぶん誰もなんのダメージも受けない。
わかっていてもどこかで常にその『あなた』が、わたしに土下座でもして泣きながら「自分のせいで辛い想いをさせてしまって本当にすまなかった。許して欲しい」と謝罪 してくれることを願ってるんですよ。馬鹿みたいでしょ?自分でも馬鹿みたいだなと思うわけ。自分で自分の首を絞めてるだけなわけじゃないですか。そんなのわかってる。自分が一番よくわかってるんだけど、頭や心からのアプローチでそれを改善しようとしてもねー、コレ、ほんと難しいのね。触れられないから。

ところがコレ、身体を媒介した途端にすんなり改善したりします。えーっと、しかも勝手に。
たとえその傾向が残っていたとしても「ああ、どうもわたしは胸椎だか頸椎だかが捻れているんだなー。だからまっすぐにものを感じたり考えたり出来てないんだなー」ってね、感情と距離を置くことが出来る。この『感情と距離を置く』が出来るか出来ないかって、すごく大きな差なんですわ。

だから、「自分のこういうところが本当にヤダ」とかっていうのがある人には、わたしとしては「それはそれとして体操でもすればいいんじゃないかな」と、思う。悩みと向き合う必要すら無い。
なんだろ。『自分と向き合う』とか『悩みと向き合う』ってそんなに大事なことかねと。それが好きな人は思う存分向き合えばいいと思うんだけど、必須じゃないから。

平氣だよ。みんな結局一皮むけばよい人間でしかないんだから。

えーっと、ちなみにわたしはわりと好きな方なんですけどね。『自分と向き合う』とか。まあ、趣味というか。

2014/06/15 (Sun)


 
父が亡くなりました。亡くなったそうです。

71歳。死ぬには早いですね。

訃報を聞いた時、一体どんな死に様だったのだろうかとばかり考えました。自分の親のことをこのように言うのはよくないのかもしれないけれど、まあろくな死に方はしないだろうなと。自死と言われても驚かない。(いや、そういったメンタリティは無いかな……)

でも、ちゃんと看取ってくださった方がいたようです。
その方は、父とはおそらく30年以上の付き合いになると思われますが、最後まで籍は入れてなかったのだそうです。父にもその方にも、なにか思うところがあったのかもしれません。無かったのかもしれません。それはわかりません。

なんにせよ、どんな人生を送ったにせよ、最期まで側にいてくれる方がいてくれたことに安心しました。これは本当にありがたいことです。ありがとう。

父が亡くなったことに対して、特に感慨は無いんですけど、その瞬間が安らかであったならよいなとは思います。

こういう話は嫌いな人もいるとは思いますが、父が亡くなった正確な日にちは聞かされていないけど、少し前に何故だか彼に対して想いを馳せていたんです。
子供の頃の父にとって、不必要な情報やエネルギーが一切合切無かったならば、彼はどんな風に幸福な人生を過ごしていたんだろうななんていう、もしもボックス的なことを想ってた。
まるで現実の彼の人生が幸福では無いに違いないと決めつけてるみたいでアレですけど。

人生に『たられば』は無いなんてことを言う人もいるけれど、『たられば』は大事ですよ。
もしかしたら。わたしが『そこ』に想いを馳せたことが、死に直面した彼のなにがしかに何らかの影響を与えたかもしれないじゃないですか。
わたしは、そう、想います。

ともあれ合掌。サヨナラまたね。



2014/05/06 (Tue)


マリーにくちづけ
森永マリービスケットにバターを塗って食べるのが最近のお氣にいり。木嶋佳苗のブログで知った食べ方だ。

幸福の味がする。

2014/04/16 (Wed)


光の貯水池
光の貯水池
珍しく外で昼食を食べた。

4日ぶりくらいのまともな食事だったのだけど、幸せで泣きそうだった。

単なる中華なんだけど。
食べ物と向き合えるというのは幸せなことです。

以前、格闘家みたいな人が、食事をすることを『○○を放り込む』と言ってるのをツイッターで目にして、とても悲しい氣持ちになったのを覚えている。表現として面白いなとは思ったけども。

食事は単なる養分吸収手段じゃない。


***


写真は、先日訪れた街にて。
空の上は光の貯水池

2014/04/10 (Thu)


こい
こい
ソメイヨシノよりも少しだけ遅くに咲いた子は
さくら色と言うにはピンクが濃くて。

わたしの氣持ちもなんだか
























よ。
2014/04/06 (Sun)


さらに雨
さらに雨
早朝の名所は人出も少なく。

雨とともにさらさらと降りそそぐ花びらに氣が遠くなるも、桜を見上げ恥ずかしそうにシャッターを押すオジサマたちに
ニヤニヤと胸が熱くなる我が俗っぽさが嫌いじゃない。
(本格的に撮影している人じゃなくてガラケーでパチパチしてる人な)

2014/04/03 (Thu)


そして朝
そして朝
早朝の桜並木の圧倒的な清浄さに

わ た く し と
せ か い と の


境界線も……












2014/04/02 (Wed)


Cherry blossom Revolution
Cherry blossom Revolution
ああ、何度体験したって慣れやしない、この革命。

夜の桜はヤバイ。
だから皆で酒を飲む。

夜の闇に素面で一人満開の桜の下にいたら、
氣なんて簡単に狂ってしまうもの。
先に酔ってしまおうってのは防衛本能。

ドンチャンドンチャン

満開の桜の下でなら、千年生きた少女にでも、生まれたてのじいさんにでも、なれる。




2014/04/01 (Tue)


ピュアボイス
ピュアボイス
声についてはよく考える。
ここでいう『声』というのは、抑揚やスピード、ボリュームなど『話し方』も含んで言っているんですが。

ネイティブアメリカンの諺だか格言だかで、「相手の本音を知りたければ、話している内容ではなくて『声』を聴け」とかなんとかいうようなモノがあるらしいけど、言葉の意味以上の情報を『声』からは受け取ることが出来ますよね。

一本調子な話し方の人は思考も柔軟性に欠けるような氣がするし、声のボリューム調整が苦手な人は、たいていの場面で距離感に問題があるように見えるし、尻すぼみに話す人は人生も尻すぼみに違いないと思っている。

先日友達から、思春期以降、現在にいたるまで、ある特殊な環境に身をおいている中年男性の話を聞いたんだけど、「声がやばいくらいにピュアだった」のだそうだ。
詳しいことは書かないけど、心身の清らかさは声帯にまで影響を及ぼすのかとおののきました。

中年男性のピュアボイス…。


*****


苦手な人や嫌いな人や許せない人については、わざわざ苦手意識を克服したり、好きになったり、許したりしなくても別にいいと思ってる。わたしじゃなくても誰かがちゃんとその人のことを愛してるものだからね。(だいたい『許す』ってのもおこがましいよな)

考え方をそこから始めると、自分の正当性を主張する必要が無くなるから楽チン。
誰かを嫌っていたとして、嫌いであること自体を許せなかったとしたら、嫌いであることを正当化することに必死になるもんだからね。「だってアイツが…」「でも私は…」って。それ、無駄だから。

だからと言って、『嫌いでいること』の上で胡座をかくような真似もしないでいること。
2014/03/18 (Tue)



total : 106231
today : 11 yesterday : 48