わたしの母は「女は男には結局敵わない」というような意味合いの事をたまに呟いていた。当の本人は女手一つでわたしと兄を育て上げて、母親役はもとより父親役もこなしたパワフルかつ実に気の強い人物なんだが、それでも「男には敵わない」と言っていた。あ、何故か過去形になっているが、別に今も元気です。
それについて、友達に「何故あなたのお母様のような強い人がそんな感想を持ってしまうのだろうか?」と訊かれたので、ちょっと考えてみた。考えてみたというか、自分自身は言語化されていない文脈の中にいたから、別段不思議に思っていなかったんだけど、ある部分だけを切り取ると不思議に感じてしまうのかなと思ってツラツラと言葉に置き換えてみたというのが正しい。リアルタイムで適当に話しているうちにだんだん形になってきた。
わたしが見る限り、母の男性観はかなり歪んでいると思う。何か理想とする男性像がありそうなんだけど、たぶんそんな男性などどこにもいやしなくて、埋められないそのギャップに彼女はずっとイライラしているような気がする。別にいつも機嫌が悪いとか、八つ当たりするとか、そういう事ではないです。もっともっと根深い部分の話で、結局「わたしが男だったら良かったのに」っていう思いがずっとずっとずっとあるんだと思う。たぶんそれは幼少期にまで遡るのだろう。
思春期の頃には、『男性だから』という理由で威張っている父親や兄(わたしの祖父、伯父)が、母親(わたしの祖母)を召し使いのようにこき使うのに対して猛反発して何度も大喧嘩したようだし、「女のくせに口答えするな」などと理不尽に頭ごなしに押さえつけられて悔しい思いを沢山したという話も訊かされたことがある。
「女に口答えされたくないならあんたらがもっとマシな男になればいいだろう。そうすれば自分だってわざわざこんな思いをしなくてすむんだよ」ってのが正直なところだったんだと思う。
きっと社会に出ても結婚をしても『女性だから』という理由でままならない思いをずっと味わってきて、いつしか「わたしが男だったら」という思いになり、それが彼女の中で『男とはこうあるべし』という形で理想化されていったのではないかな。でも彼女が無意識に『こうあるべし』とイメージしている男性なんていやしないわけ。どこにも。
わたしの父親は確かにクズといえばクズな人物ではあったんだけど、彼をそのように追い込んだのは母の無意識の理想像だったのだと、わたしはこっそり思っている。もちろん母にそんなことは絶対に言えないけど、そうであろうと思ってる。
母の『女は男には結局敵わない』という呟きには何重もの意味や思いがきっとあって、『彼女が無意識に作り上げた理想の男性像には敵わない』が、一つ。これには「こういう男性が相手だったら自分だって喜んで女でいられるのに」という願望があるよね。それと『自分の方がどう考えても優れているのに構造的に社会で優遇されている男には敵わない』が、もう一つ。少なくともこの2つが柱になっているのではないかな。
まあこんなのは勝手なトレースなので、実際には全然違うのかもしれないけど、これがわたしからみた母の物語。今のところ。