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1988年、伊方原発の出力調整実験反対の闘いがあった。それで、写真右側に写る高松の四国電力本社に出向き、出力調整実験が飛行機の離着陸を繰り返すような無謀な稼働実験であることを訴える高松行動に参加した(^o^)/
原発なくてもええじゃないか!ええじゃないか!原発いらない命が大事!政党や組織に無関係に全国から集まった一人ひとりが一万人近くになり、誰に指揮されることもなく、自分の命のこととして自発的に個性的に訴えた\(^-^)/
私たちは、従来の労組と違うスタイルの運動を展開しニューウェイブと呼ばれ、組織型のオールドウェイブとの対立があり、そのトラブルを朝日ジャーナルが言い出しっぺとなり、各週刊紙が書き立てたりもした。何せ署名をどんどん机に並べる私たちがニュースステーションの映像に映る程で、ヨンデン前は大騒ぎとなった^^;
1988年1月24,25日・・2月11,12日と、一冬に2度も高松入りした。実験中止の申し入れの回答を約束した重松次長と桜井係長?だったか?彼らを待ち続け、私たちはヨンデンの一室に泊まり込んだ(^-^)v
作家の広瀬隆、同じく作家の故松下竜一、アイリーン・スミス、今は国会議員の辻元清美なども一緒に泊まり込み、彼女は故小田実に連絡を取り続けた。翌日も本社ビル内で出力調整実験中止を求め回答を待ち続け、機動隊に排除されるなどいう初めての経験をした。ノンポリで命が大事!の必死の思いで駆け付けた赤ちゃんをおぶったお母さんなど、警察が約束を守らない電力会社側を応援する現実にショックを受けた(*_*)
あれからアッという間に20年が経過☆彡そのヨンデン前を、今朝は早起きして散歩してみた。私たち、ただの主婦が、命が大事と純粋な思いで一斉蜂起して闘った懐かしい現場。当時の私は幼稚園児の母親で35才だった(*^^*)
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