チャンカーはマリオン


 ●●●  186回目の毬音月命日
186回目の毬音月命日
来週母の手術があるので帰省するために予約していた飛行機が、コロナ禍の影響で欠航になった。
元々21日の便を予約してたが欠航になり22日に変更してた便がさらに欠航すると昨日連絡があり至急23日の便を押さえた。 母の入院日24日には何とか間に合うが、何とも振り回されっぱなしである。
札幌へ帰る2/4に予約している飛行機も怪しい感じが否めない。
昨日北海道の東の方で地震があった。札幌では震度が出るほどではなくほとんど影響がなかったようなのだが、僕は揺れを感じて「地震だ、地震だ!」と奥さんに訴えるが、何も感じないと言う。それからしばらくしてテレビで速報が流れた。
何日か前にも北海道西方沖で起こった地震も、昨日と同じように僕には感じたが奥さんはまったく感じなかったようだ。
地震というほどではないにしろ、以前から僕は時々地面が震えているような感覚を持つことがある。 震え程度であれば良いが、時々地鳴りのような音と言うか感覚的に感知する事があり、その後まもなく地震速報が流れる事が多い。
僕には地震予知能力があるのだろうか? 奥さんからは「なまず男」と呼ばれている。

今日の月命日オムライスは中身はドライカレー。 お供えは安価なシュークリームと菓子。
去年帰省が多かった事、今回もまた帰省の必要がある事から我が家の家計は切迫しているので、毬音へのお供えも粗末なものになってしまう。申し訳ない。
でもオムライスは可能な限り毎月作り続ける。
2021/01/16 (Sat) 7:50

 ●●●  12日ドラパー@くう 13日トリオザノーザンライツ@ジェリコ
12日ドラパー@くう 13日トリオザノーザンライツ@ジェリコ
去年のアメリカ大統領選挙の余波が世界規模で広がって大変な情勢になっている。 今まで陰謀説と言われていた多くの事柄が現実味を帯びた情報が錯綜し、
日毎、時間毎に刷新される目まぐるしい情報に混乱する毎日。
去年11/26以来の久々のライブ演奏。その去年のlastライブの3日後に愛猫が逝ってしまい失意で新年を迎えたが、アメリカ大統領選挙から派生した話題の大きさに圧倒され、喪失感を忘れさせてもらえた。
12日は彼のドラマー小山彰太さんを中心に自分とのドラム2台とパーカッションでの変則フリージャズトリオ。
彰太さんと新春シリーズをご一緒させてもらうのは、2019年の1月はドラマー3人での新春ライブで、去年今年と新春はドラパー。
この新春ドラパーが恒例になるように期待したい。 まぁ実際は雪道でドラムセットの運搬等は結構難儀であり、積雪状況ではお客さんも足を運び難いし、ましてマニアックなライブなので集客が難しいのが現実だけど、やはり新年はコレ!という自分にとっての目玉にしたい。
翌13日はジェリコでのギタートリオ。 去年のライブ回数からすると、このトリオが一番ライブ回数が多い。
去年の最期のライブもこのトリオにピアノをゲストに入れたライブだった。
そのゲスト入りでのライブを春先にでも予定出来たらと考えているところ。

来週金曜から、母の手術のため2週間程帰省して、北九州人として暮らします。 愛猫おさかなちゃんが居なくなって留守にしてる間の心配がなくなったので長期帰省ができるのだが、もう一人の愛猫も年くってるから心配ではあるのだが、まだ元気に食って鳴いて(うるさいくらいに)動いてくれているのでひとまずは安心できるのだ。

写真はドラパーでの自分のセッティング
2021/01/14 (Thu) 13:31

 ●●●  2021年元旦
2021年元旦
世界を大きく揺さぶったコロナで明け暮れた2020年。そんな変動の年の中必死に生きた愛猫:おさかなちゃん。
11月の初め頃、奥さんが仕事で病院へ連れて行けないので僕がひとりで病院へ連れて行く道すがら、おさかなちゃんに「一生懸命祈るから、一緒に正月を迎えようね」と約束したが、祈り届かず、年を越すのが後ろめたかった。2020年におさかなちゃんを置いてきぼりにしてしまうようで新年を受け入れられない自分に気付く。
大晦日に初めていも餅を作って、僅かに新年を模ってみたが、心の中は11月29日で止まっている自分が何とも情けない。

今年の元旦は雪。最高気温マイナス9度と冷え込んだ。
いつもならストーブの前はおさかなちゃんが占領してる状況だが、まるでおさかなちゃんが乗り移ったかの如くもう一人の愛猫ブーさんが占拠している。我が家の序列的は、奥さん>おさかなちゃん>ブー>自分 だったので、おさかなちゃんが居なくなった今はストーブ前はブーの席になったのだろう。

40数年前父を亡くした時、父が主催していた俳句の会から父への想いの投稿を頼まれた。
俳句ではなかったが以下のような短文を投稿させてもらった。
「如何なる宗教を持ってしてもこの悲しみは変わらないのだろう。『永遠であれ、永遠であれ、語る事無き時にも』」
父や毬音や珊内在住時の愛猫サイレンと共におさかなちゃんも永遠の存在になったんだね。
2021/01/01 (Fri) 12:13

 ●●●  毬音185回目の月命日
毬音185回目の月命日
昨日のの最高気温-3度、今日の予想は-2度。いよいよ真冬日到来。
岩見沢や地方では記録的な積雪らしいが、札幌はそれほどでもないが、これが根雪になるのだろうか?
コロナ感染拡大で11/26が年内最後の演奏となり、その3日後に愛猫おさかなちゃんを喪う事でしばらくはすっかり抜け殻状態だった。
ここにきてどうにか年明け1月のライブに向けて前向きな気持ちを持てるようになった。
昨日までの3日間ほど、奥さんが用事で福岡・大分へ行っていた。
おさかなちゃんが逝って傷心状態で行くのを躊躇してたが、あえて僕は行くように勧めた。
昨日帰って来て「行って良かった」と言う。
悲しみは、その渦中に留まるより非日常を経験する事で少しづつ悲しみを転嫁するしかないのだ。
これは毬音を喪って以降に学んだ事。
2020年はコロナでいろんな価値観を塗り替えられたり、世界を大きく変えられた。
アメリカの大統領選挙でも、常識への価値観の変革を感じた。
とにかく2020年を起点にいろんな事が変わって行く事を実感した。
今日の毬音のオムライスはドライカレーのオムライス。お供えは先月と同じく生八つ橋と奥さんがお土産で持ち帰った博多通りもん。
毬音とサイレンとおさかなちゃんで仲良く楽しく過ごしている姿を想像して自分を慰める日々を過ごす。
2020/12/16 (Wed) 8:44

 ●●●  おさかなちゃん荼毘
おさかなちゃん荼毘
今や24時間受付ているペットの出張火葬サービスなるものがあり、依頼をしたが11月30日は何故か激混みらしく予約が20〜21時の間の訪問となったが、更に遅れて21時45分頃に火葬車はやってきた。
車に火葬の窯が搭載されて迷惑にならないような場所を探して荼毘に附すのだが、それに付きそうつもりでいたが、火葬する場所がまだ見つからないのと元々火葬はお任せのコースで予約してた事もあり付き添いは叶わず、自宅マンションの前で窯に納棺する段階でお別れとなった。
そこから2時間程家で待機して骨壺に収められた状態で届けられた。外は雪がチラつきはじめていた。

ここ2〜3日睡眠が十分では無かった僕は、お骨の横で眠った。
明けて今日。外は白く覆われている。毎日先祖やおさかなちゃんに向けて勤行を行っているのだが、おさかなちゃんへの病気平癒の祈りが抜ける事で、自分の中の大切な物も同時に抜けてしまった事を思い知る。

毬音が統合失調症や癌で逃病(あえて闘病ではなく逃病と考えていた)で、毬音本人もそうだが、僕も必死であったところで毬音を喪い、毬音がかかっていた精神科の医師から言われたのは「病人が看護人に依存するのと同じくらいに、知らない間に看護人も病人に依存している、相互依存というのがある」という事を思い出した。
僕はおさかなちゃんに完全に依存してたわけで、ここからの脱却はまた時間がかかるのかもしれない。
あとどのくらい涙を流すのか。。。。

今日は今シーズン初の真冬日になるかもしれないらしい。
2020/12/01 (Tue) 8:35

 ●●●  2020年11月29日18:40 おさかなちゃん逝く
2020年11月29日18:40 おさかなちゃん逝く
数週間前に歩行時のよろめきから始まり、転んだりしつつも時々歩き回ることもあったが、ここ2〜3日で次第に起き上がる事も困難な状態に陥った。
逆にほとんど見えてなかった目が、朧気だと思うが人の居る方向へまっすぐ向かう程度の視野は戻ったように思え、
そしてほとんど声が出なかった鳴き声も、時折訴えるような鳴き声を発するようになった。
しかしどう贔屓目に見ても回復・復活の兆しは無かった。
元々自力での食事ができない状態で、お医者さんから「給餌をやめたらすぐに逝ってしまう」と言われていたが、苦しませたくない一心から見送る覚悟を決め、あえて一昨日あたりから強制給餌は最小限に。
そして28日夜、翌日朝から仕事がある奥さんには睡眠をとってもらい、休みである自分が徹夜で付きそう。
深夜のおさかなちゃんは寝た状態から急に声を発して起き上がろうとするが、身体の自由が利かず転ぶ。
それを見かねて抱きかかえ膝の上に乗せると、安堵するのか落ち着いた状態になる。
自分の布団でおさかなちゃんと枕を並べて横になる。
常におさかなちゃんの体のどこかに触れている状態を保ちつつ朝を迎える事が出来た。

起きてきた奥さんに夜は乗り越えた事を伝える。
昼間のおさかなちゃんはほぼグッタリの危篤状態。しかしまれに声を発する。
昼間は奥さんにテレワーク仕事をしつつおさかなちゃんの様子を見てもらい、何かあれば叩き起こしてもらうようにお願いして僕は仮眠を取る。
昼過ぎに一旦起きて急いで買い物に出かけ、急いで帰宅。
様子は変わらないようだったので、徹夜での睡眠不足解消でしばしごろ寝する。
夕方6時に仕事を終えた奥さんが18時半頃僕を起こした。
「呼吸の様子がおかしい」と言うのでおさかなちゃんの様子を見る。
呼吸と呼吸の間隔が15秒〜20秒と異常な状態。
これは毬音の臨終の時と全く同じ状態だったので、記憶が重なり一瞬にして恐怖と解決できない焦燥感と失意の入り混じった感情に襲われ、同時に間もなく終える命を見送る覚悟を腹に据えた。
起こされてから10分ほど後、最後の呼吸をして最愛のおさかなちゃんは逝ってしまった。

僕とおさかなちゃんの付き合いは9年10か月程度だが、奥さんはおさかなちゃんが赤ちゃんの頃出会ってからの付き合いだから16年近い。
喪う悲しみは大きいだろうけれど、この2年ほどはおさかなちゃんは僕と一緒に布団で寝る事がほぼ毎日だったので、喪失感と言うより絶望感を感じていた。
今夜ペット用の火葬車が来て荼毘に付す。
奥さんは仕事なので付き添うのは自分だけだが、泣き崩れてしまいそうで怖い。
毬音を見送った時、自分はこの人を看取るために出会ったのだと悟った瞬間があったが、
自分の人生に課せられた命題は引き合わせと見送りと感じているので、しっかりと見送らねば。
2020/11/30 (Mon) 13:23

 ●●●  Trio The Northern Lights+ スペシャルゲスト:中島弘惠@ジャムジカ
Trio The Northern Lights+ スペシャルゲスト:中島弘惠@ジャムジカ
前日は札幌で6センチの積雪。しかしまだ根雪には早く路面の雪は解けてしまう。
我が家では愛猫・通称おさかなちゃんの容態が日に日に悪化。目が見える見えないどころでは無く、立ち上がろうとすると転び自分を支えていられず食事も飲水も自力では困難な状況。
医師の言った「11月を越せるかどうか・・・」の言葉が現実味を帯びてきた。
自分としてはおさかなちゃんの延命に必死であったが、本人の状況を見ていると気の毒で哀れでならない。
直近で奥さんがさかなちゃんを病院へ連れて行ったと時、体重からすると生きているのが不思議ほどで、生命力の強さを医師は口にしたそうだ。
それは僕の延命の念に必死に応えようとしているようにも思えた。
この状況は毬音の危篤状態の時と同じで、自分の想いと当人の状態の狭間で葛藤するのである。
寿命は致し方ないのは解っているけれど、そう簡単には割り切れないのも人の感情。

おさかなちゃんの命はとてもとても美しい。
その美しい命に会えた事に深く感謝。
あとはおさかなちゃんが自分のタイミングで昇天するのを見送るしかないのだろう。 これも毬音で経験済みなのだが、なかなか踏ん切れない自分が居る。

今日明日とも知れないおさかなちゃんの状況ではあったが、久々のジャムジカさんでTrio The Northern Lights+スペシャルゲスト:ピアノ中島弘惠のライブ。
急激にコロナ感染拡大の渦中、来客も期待できなかったが、今後期待したいネット配信という遠隔視聴もできるシステムで挑んだ。
このメンバーは「想」というバンドの後期メンバーに当たるわけで、「想」を知る人には喜んでもらえる面子だと思う。
自分としても久々に想サウンドを堪能できた。
考えたらビートルズナンバーやら日本の民謡やらでジャズのスタンダード曲は1曲しか演奏してなかったw
12月のライブ予定がコロナですべて中止になり、このライブが今年のライブ納め。何とも寂しい限りだ。

終演後お店のマスター次郎さんと、またこの面子でライブを!とお話して、瀕死のおさかなちゃんの待つ家へ急いだ。

2020/11/26 (Thu) 23:14

 ●●●  毬音184回目の月命日
毬音184回目の月命日
北海道のコロナ感染が急増しているらしく、ライブのキャンセルがチラホラみられる状況に戻った感がある。
海外を含めてコロナ感染拡大を煽る世相状況で東京オリンピック実現はあり得ないと思うが、その件に関してあくまで実現の方向で報道しているのはなんとも納得いかない。
最近いろんな事で世の中のチグハグな部分が露呈した感じがする。
毬音が逝って15年以上経つが、物質的な事ばかりでなく世の中の意識や価値観は大きく変わっていて、僕自身追いつかない(追いつく必要も無いが)毬音もビックリしてる事だろう。
「進歩」のすべてが「善」とは思わないし、「昔」のすべてを良しとも思わないが、このままの流れではヤバイとは感じている。
物質世界から離脱した毬音には今がどのように見えているのだろう?
今朝も朝からオムライスを作り、お供えの生八つ橋は京都土産では無く、札幌に帰ってきてから近所の西友で買った代物でスンマセン!
2020/11/16 (Mon) 8:35

 ●●●  11月10日〜14日 今年5回目の帰省と行脚 そのA
11月10日〜14日 今年5回目の帰省と行脚 そのA
念願の眼力さんの参拝を終え。しばし疎水を長めながら次の行動を考える。
小倉に戻るのは新大阪18:42の新幹線なのでそれまでのコースを頭に描く。
大阪在住時代から京都の寺社仏閣を見るだけでは無く、小さな路地や家並みを眺めながら歩くのが大好きだったので、今回も歩くことにしてみた。
京阪で清水五条。そこから建仁寺方面へ歩いて摩利支天参拝。松原通りにかかる橋で鴨川を渡り、
そのまま松原通をまっすぐ突き進み烏丸通り手前で少し右に入れば、愛猫:おさかなちゃんのため何度かお参りした因幡薬師(平等寺)
お堂の柱に繋がれた大きなコリー犬が居てすい臓がん末期であると記された看板があった。
平等寺から五条通りに下りて、二筋ほど東に戻り間之町通りを下って文子天満宮。そこから東本願寺に立ち寄り、七条通を西に向かい堀川通で下り八条通りの途中から細い道に入り家並みを眺めつつ歩いていると
大宮通に出るちょっと手前の住宅街に突如「DX東寺」というストリップ劇場があった!
今どきこんな小屋がまだあるのかと懐古と驚きである。
昔札幌にも道頓堀劇場、札幌コマ劇場(知り合いが宣伝カーに乗っていた)、カジノ劇場(友人が宣伝カーに乗っててタダ券をもらったり、宣伝カーの制限速度時速20キロで小樽までドライブして店の人に怒られた等いろいろと面白い思い出がある)、等は記憶に残っている。
話を戻し、五重塔特別公開している東寺へ。
東寺の仏像群は圧巻。ここも修学旅行生がいくつかの群れになっていて、その合間を縫って拝観。
京都駅まで戻る途中でこの日初めての食事をして新大阪に行き、帰りの新幹線を待つ。
新大阪は、毬音のT細胞点滴治療でウィークリーマンションを借りてクリニックに通った思い出深い場所ではあるが、
あれから15年。ずいぶん変わった。 暮らしてたウィークリーマンションは建物はあるが、普通のマンションになってるようだった。
各駅停車の新幹線で4時間40分、小倉へ戻った。 計算してみるとこの日1日で10キロ以上は歩いた換算。
10代の頃は1日に7〜8時間歩き通していた事を考えると衰えを感じるが、長く濃い1日だった。

翌金曜。本来長年気になっていた英彦山に登る予定だったが、母の印鑑登録取り直しのため母と区役所へ行き。
印鑑登録のついでに介護保険で受けられるサービスを相談してみたのだが、どれも母本人が難色を示す。
知り合ってしまえばズケズケ話す母だが、初対面に異常なほどの警戒・緊張・不安を持っているようで、それを突破するだけの気力が出せないのだろう。
本人の人付き合いや人間関係に対して、息子とは言え第三者でしかも遠隔に暮らす自分にはどうしようもない部分である。
取りあえず新たな印鑑登録を持って住宅の契約を無事交わせ、今回の帰省での目的は達成できた。

札幌へ帰る14日。朝早い新幹線で博多に移動。博多BTから大宰府へ行く1番バスに乗るが、土曜という事もあり激混み。
高速走行のバスなのにつり革があり、高速走行中もつり革にぶら下がった乗客が数人いる。
これって道交法的に大丈夫なのか?と余計な心配をしつつ、大宰府市役所前で下車、またもや観世音寺の仏像群の前に赴く。
家の奥さんはここは一人で居るのは怖くて長居ができないと言っていたが、僕には何とも言えない快適な空間。
太宰府天満宮に向かう車で道路は渋滞気味だが、この空間には僕が一人で仏像達と対面できる。
いつもの事だが、次に誰か来たらその人にも一人で味わってもらいたいので自分が退館するようにしているが、
30分以上は過ごせたと思う。今回は聖観音さんからの圧を感じた。
僕には満面の笑みに見える大黒天さんと別れを惜しみ福岡空港に戻り。無事札幌へ帰ってまいりました。
2020/11/14 (Sat) 23:54

 ●●●  11月10日〜14日 今年5回目の帰省と行脚 その@
11月10日〜14日 今年5回目の帰省と行脚 その@
今回は突発的ではなく、救急搬送で入院して以来、半年に1度受けるMRI検査の結果を聞くため予定していた帰省。
それに合わせ母の住む公団の立ち退き・移転に関する契約取り交わしに立ち会う必要もあり、
どうしてもお参りしたい所があり、11/10〜14とちょっと長めに余裕を取ったプランにした。
出発前日札幌は大荒れで一気に降雪、道路の雪は昼も解けずに氷でガタガタ路面。
コロナ禍の影響で予約した飛行機が減便対象に当たり、予定より4〜5時間遅い便になったため、到着当日の予定は何も叶わず。
11日早朝に実家へ行き、午後イチのMRI検査と物忘れ外来の受診。
病院の用事が終われば急ぎタクシーで戻り、公団の立ち退き・移転の契約取り交わしに検査で疲れている母を置いて、自分ひとりで出向くが、
実のところ、契約書は僕が帰省する11日まで出さずに待つように言っていたのだが、母はそれを聞かず自分で送付してしまっていた。
2週間ほど前、公団の人から送付されて着たが、印鑑登録の印影と書類に押してある実印が違っていると電話があった。
急いで母にその件を問うてみるが、電話ではらちが明かないので帰省到着当日に実印探しをする予定でいたが、後日母から「あった」と連絡を受ける。
その「あった」という実印と思われる印鑑を持って事務所に行ったのだが、
その印鑑も印鑑登録とは別の印鑑である事が判明。
結局印鑑登録を取り直す羽目になり、ここで一つ自分のプランしていた1日が潰れる事になった。とは言え、減便で予定変更になった時に変更可能にできる日を設けていたので想定内ではあった。

そんなバタバタとした1日はこれでは終わらず、夜に小倉駅前からフェリー送迎バスで新門司、そこからフェリーで大阪南港へ移動。
GoToトラベルのおかげで、チケットはかなり安くなったので実現した。

晴天の大阪南港到着。ニュートラムでコスモスクエア―、地下鉄中央線で本町、御堂筋線に乗り換え新大阪。
新快速で京都、奈良線で稲荷。
今回の自分の予定で一番重要な、伏見稲荷・稲荷山の中にある「眼力社」
脳内出血で視野が欠けた状態が続いている母と、失明しかけている愛猫・通称おさかなちゃんのための参拝。
これだけは外せない目的だった。
稲荷山を巡るのはこれが多分3回目くらいだが、「眼力社」を目的として登ったのは初めて。
眼力社は伏見稲荷拝殿から上る事約1.5キロ。登りなので結構キツかった。
参拝者は思ったより多く、どうやって入国したのか中国・韓国の観光客も居る事が言葉でわかったが、流石にそれらの国の団体はいなかった。
しかし修学旅行生や国内の団体は居て、閑散とした印象は全くない。
参拝者はみなそれぞれ季節に合った服装、厚手の上着を着ているが山を登る人は上着を脱いでいる人が多かった。そんな中僕はTシャツ1枚で闊歩した。
眼力さんに着いた時は汗だく。
自分に「もっとゆっくり歩け!」と言い聞かせるが、身体が何故か急ぐので、そのペースに引っ張られて歩かされている感じがした。
2020/11/14 (Sat) 23:40

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