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兎の放蕩物語


クリスマスは村の友人と過ごす

クリスマスは村の友人と過ごす
早いものでカルスト山麓の集落に住み始めて4年目の冬を迎えています。
最初は車庫付きの二階建て母屋一軒を借りての美しい景色を見るための別荘でした。そして一年半後に敷地内のもう一軒の平屋も手に入れてこちらを外国人に日本の里山の原風景を見せたくて民泊申請を県庁に出して許可を得て消防署にも防火設備機器の取付確認で承認をいただき保健所には旅館業と飲食店営業許可をもらって二年前の秋に宿泊受け入れを始めて二年が終了。二年間で150人のゲストをお迎えして外国の方たちとの国際交流も活発にできました。それで高い評価を得られて世界的な民泊サイト「airbnb」からSuper Host の称号認定を受けました。ある面🐇の目的は達成できています。

これから3年目の春を3月から予約が入り始めたオフシーズン(12月〜2月)の今、待ち望みます。

村の人には集会で民泊営業の報告をして協力を仰ぎ 村の中での認知度も上がり 写真のお花の先生には外国人が来られた時に生け花や抹茶を教えていただき 男性の大工さんには地元の気候や環境整備の知識をたくさんいただきました。今日は家族が入院して来られなかったもう一人の元地区長さんの男性には農家の野菜や卵、ゲストが来た時の手助けや茶摘み体験のオプションに協力してもらいました。
地元の理解や助けがなければ🐇だけではここまで来られなかったので本当に感謝しています。それで村のお友達を呼んでクリスマス食事会をして親交を深め今年最後の高知滞在としました。
24/12/26 (Thu)


今年最後の高知の山荘滞在

<e112e>今年最後の高知の山荘滞在
昨年の高知の冬はホワイトクリスマスでした。
辺り一面がクリスマス前に振った雪で覆われた集落の風景で…。
でも今年はきりきりに寒いのですが湿気が少なく雪が降る条件が整わないようです。

一度冬対策をして高松に帰って過ごした二週間はスポーツカーMGFリチャードの復活した日々を除いて平凡で退屈な日々でした。
温泉付きのマンション住まいは日当たりも良く快適ですが、どうも外出しないときは部屋に引きこもりてきな生活になってしまって🐇は運動不足で体重が増えていきます。

高知にいれば絶えず外に出ていて 家の周りやお客様が宿泊する平屋建ての住宅の環境整備に絶えず身体を動かしているのですが、高松では運動不足気味で 自由に車を手入れしたり散歩したりという時間が監視されているような気もして自由に行動できないような気がするのです。

それでというわけでもないのですが約束したVWビートルのミルクと高松に連れ帰ることも思い出し冬タイヤに既に履き替えた軽自動車Kei439与作号で高知に向かいました。

今年の高知は本当に雪とは無縁で 寒くても青い空と夜間の星がいっぱい輝く日々はやはり快適で特別なものでした。写真を見てください。青い抜けるような空がカルスト方向に展開して小さな山麓の村が愛しく思えます。
24/12/25 (Wed)


高松の日常A和食の朝

高松の日常A和食の朝
ここ数十年 🐇の朝食はお米を炊いた和食のご飯がほとんどで これは住まいを移しても どこにいても規則正しく味噌汁も毎日味噌(御前味噌・白みそ・合わせ・白みそなど)を替えながら納豆・豆腐・大根おろし・焼き魚・卵料理・漬物などだいたい7品目位の小鉢やおかずを早朝に約一時間くらい調理しながら午前7時前後には食卓に並べて朝のニュースを見ながら8時頃まで掛けてゆっくり食します。

この習慣が日常化していて 面倒でもなく苦にもならないので高知の民泊に泊まってくださった外国人ゲストにもメニューを説明して日本の朝の和定食を同じように食文化の一部として提供しています。

卵を切らした時には茄子の煮びたし やきんぴらごぼう・ジャガイモのベーコン玉ねぎ炒めなどで流用して 焼き魚は季節の良い窓を開けて寒気が出来る時期は 卓上コンロに小さな鉄鍋を置いて蓋をして固形燃料で目の前で調理したりして旅館の朝食的な献立を作りマンネリにならない様に小皿や器の品ぞろえをしてカラフルに提供するのが好きです。

写真はその一例で和盆も視覚以外にひし形や丸井盆も或いはランチョンマットにしたり工夫をしています。みそ汁は右のグラスを空けた後に定位置に並べられます(笑)
食事は自分の為というより喜んで食べていただく人の為に作っているのかも知れません。
24/12/23 (Mon)


高松の日常@冬至

高松の日常@冬至
昨日は2024年の冬至でした。
写真は四国新聞の切り抜き記事です。

ここ数日愛車リチャードが復帰して安心したのか目が覚めるのが7時を過ぎることが多く慌てて朝食の支度をします。

高知の宿や高松でも朝7時には朝食の準備が済んでいるはずが朝食が8時頃になってしまいました。それもそのはず冬至までは夜が一番長く高松は7時になっても明るくならないからです。(東京は30分早い)布団の中に長くいてしまう🐇になってしまいました。

12月は🐇の誕生日、愛車の復活とうれしいことが続いて何となく予約も入っていない寒い高知に家の様子を見に行くことが寒くて億劫になってしまった昨今。
人はずっと情熱を持って果敢に生きることが大切ですが、たまに面倒くさくなったりずぼらになるのも体内時計や季節の変化にも影響を受けてしまうのかも知れません。

冬至を過ぎれば日の出は一分ずつでも早くなり、日没も同様に伸びるわけで明るい時間に活動できる楽しみが少しずつこれから日ごとに増えることは人(🐇)の気持ちを明るくさせてくれますね。自分で納得する🐇でした。
24/12/22 (Sun)


リチャードが日常に戻って来て

リチャードが日常に戻って来て
そんな訳ですっかり元気になったMGFアビントン(Richard)がレイクサイド塩江に戻って来てまた静かな日常生活を送れる事になり🐰も心の安静を得て幸せな毎日が過ごせます。
来年になるといよいよ東京脱出計画が始まり、先ずは1月には上京して家屋の解体工事の前に残置物の撤去や不要品の整理、必ず残しておきたいものを高松に送る手配など控えて神様がつかの間の平和な時間を🐰に与えてくださったのかも知れません。
夜もぐっすり眠れて、朝も早起き出来て健康的な生活も続けられそうです。
24/12/20 (Fri)


そして二日間MGFの整備を見守るA

そして二日間MGFの整備を見守るA
気温が低い中での作業は疲れると思います。
そして今は一番日が短く作業時間は僅かになります。工具やツール、充電器や、コンプレッサー代わりの吸引機など小さなサービスカーの後部は荷物でいっぱい。

初日は🐇のお客様が経営している地元の遍路宿に部屋を取りゆっくり休んでもらった。翌日も午前中で終わる予定が長引き夕方近くまで作業をしてもらい、最後は横に乗ってテストドライブとサスペンション一式を換装したので注意点などをレクチャーしてもらって淡路島に向かう前に塩江温泉郷の温泉に一緒に行って疲れを労いました。

🐇にとっての年度末の良い出来事でクリスマスプレゼントになりました。
24/12/18 (Wed)


そして二日間MGFの整備を見守る@

そして二日間MGFの整備を見守る@
遠く横浜から🐇の愛車を直してくれるために来てくれたMGの権威「山根さん」

人目につかないマンションの駐車場で海風を受けながら二日間、愛車MGFリチャードを一人で整備してくれました。
その事に感謝しながら🐇も時には傍で見守り、時には必要なことを聴いて関連部品を買いに行ったりで冬の寒さは厳しく大変な二日間でしたが、香川県の工場には見放され、車検を取ったばかりの民間工場も無責任で仕事から逃げてかかわりあいたくないと大人げない人間を見ていると遠く700kmも離れた横浜から小さな車に整備機材を積んで香川まで来ていただいたことへの申し訳ない気持ちで手術の成功を見守るばかりでした。

幸い時間こそ予定よりかかってしまいましたが、希少な英国車を大切にするユーザー第一主義で駆けつけてくれる正義に頭が下がります。

結果、非常に満足する結果を得られて、前にも書きましたが今年の末の12月になって誕生日を祝ってくれる人がいたり、🐇の大切で好きな車を良い状態で車を見てくれる人がいることを幸せだと感じるのです。
24/12/18 (Wed)


英国車の救世主

英国車の救世主
今年は何故か愛用の自動車が故障して長く乗れない状態だったMGFのリチャードが今、内科と整形外科の手術を受けていてもうすぐ新しく生まれ変わろうとしています。

香川県は輸入車の故障難民が多く年式の古い車。ドイツ車以外のイタリア・フランス・イギリス車を所有していくにはとてもハードな整備難民が多い地域です。

その弱い部分に今年 英国車リチャードは🐇のもとを離れて何カ月も入院したまま適切な処置もされず持病も悪化して念頭に車検を取得したばかりなのに全く乗る機会が少なくなってしまいました。

そこに年末ぎりぎりに待ち望んだ救世主が二か月待ちで首都圏から出張修理に香川に来ていただき今日・明日と🐇の会社のある敷地の隔離病棟で二つの手術を行いました。

特筆するのは今、施術中ですが足回りのサスペンションが全く新しいシステムに生まれ変わろうとしています。メシアに感謝です。
独特のガスと液体のダブルで車高を調整するサスペンション(ハイドラサスペンション)を自動車の基本であるばね(コイルスプリング)サスに構造変更するものです。※MGF Coil Spring Conversion Kit

冬になると必ず車高が下がって都度オイルを注入して落ちた車高を揚げる作業がこの手術が成功するとノンメンテでいつも同じ車高と乗り心地を維持してくれるのです。自動車本来の基本型が信頼性も高く先を読んだエアサスに近い近代技術が本来のベーシックな構造になることでメンテナンスが楽になるのは大切で、8年使用している愛車もこれで大きな出費も抑えられ永続的に好きな車に乗り続けることが出来るのはうれしい出来事です。

悪いことも続いた2024年も年度の終わりには良いことが続く🐇の昨今です。
24/12/16 (Mon)


客室から対岸の自宅を見る

客室から対岸の自宅を見る
宿泊したホテルの10階のジュニアスイートの部屋の正面に湖を挟んで対岸の自宅「レイクサイド塩江」と右に「ホテルセカンドステージ」が同一敷地内に建っていて、瀬戸内海が目の前に見え9年間も暮らしていた高松の東郊外の琴電志度線沿線の大きなルーフバルコニーのある小さなマンションのペントハウスから4年前にここダム湖の傍に建つリゾートマンションに引っ越してきて良かったことと 海の傍が懐かしい気持ちが交錯して少し感傷的になった🐇がいました。

海は夏は爽やかで青く誘惑的ですが冬は北風が吹き荒れグレーに変身しますが湖は湖面が波立たず水の色の変化も海程なくて落ち着いた環境になります。

🐇がここに越してきたのも5年前に奥日光の中禅寺湖畔で保養所の再生計画で指名を受け半年間頑張って宿を再生させた経験が大きかったような気がします。

そんなことを考えながら今年もあと二週間になった今、短いようで長かったこれまでの人生を同時に振り返っています。
24/12/15 (Sun)


今年も対岸のリゾートホテルで…!

今年も対岸のリゾートホテルで…!
昨夜 2024年の誕生日を迎えて🐇は73歳になりました。
日本人の健康寿命72.68歳だから切り上げて73歳です。
誰にも助けを受けずに日々自分で寝起きでき、料理を作り、民泊を運営して、海外のゲストを英語でお迎えして国際交流しながら自動車での三拠点生活の移動の為の長距離運転を安全に走り生きて来られました。と自画自賛したいのですが、今年は大変な一年で随分と苦労してきたんですよ。

残念なのですが代表の🐇の高齢と後継者がいないこと加えて来年二月には東京の家を売却して住民票も地方に移す関係で東京海上日動の損保代理店の資格を今季末の来年3月には正式に返上することも相互の話し合いで決まりました。

来年は東京に帰る場合はホテル暮らしになり いよいよ四国が生活の本拠内になる訳です。2003年の会社設立以来の東京海上とのお付き合いも23年目に終止符を打つことになりました。当然の帰結なのですがまだオンラインで十分対応出来るつもりだったので残念ですがひとうひとつ捨てなければならない終活の初めの大きな出来事かも知れません。

話は戻ります。昨年と同じ🐇のリゾートマンションの湖の対岸のホテル「ヴィラ塩江」で宿泊し誕生日を祝い今年の行事の最終イベントとしました。

クリスマス対応のホテルの玄関で撮影した元気な🐇の姿です。普段あまり歌わないカラオケも97点の採点で懐かしい曲を歌ったり思い出に残る滞在でした。🐇の周りの多くの協力者に感謝の意をお伝えしたい夜でした。



24/12/14 (Sat)


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