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兎の放蕩物語


ナポリタンという和製パスタが懐かしくて…

<e093e>ナポリタンという和製パスタが懐かしくて…
🐇がまだ学生の頃 大学の近くのスナックで自動車部の仲間とよくナポリタンを食べたものです。日本流にアレンジした具だくさんのケチャップでトマトソース風に赤く色づけし 鶏がらの隠し味が美味しく感じました。
牛丼やカツ丼と同じ手ごろなファストフード的な和製のパスタです。といっても家ではグリーンサラダやフランスパンやスープも添えますが…。

このナポリタンを時々ふと恋しくなって家で急に作ったりします。
本当は昨夜食べるつもりだったのですがワインを飲んでオードブルを多めに作って食べていたらおなかがいっぱいになり材料を冷蔵庫に戻して今朝
朝食に用意しました。

時々食べるのには持って来いの軽食で懐かしい気分になり若かりし学生時代を思い出します。

別ものですがペンネ・アラビアータも得意料理です。これはイタリアのパスタです。
22/07/14 (Thu)


初めて東京からダイレクトに高知の山荘に向かう!

初めて東京からダイレクトに高知の山荘に向かう!
東京〜高松は途中の中継地として西伊豆の存在がありました。同じく
東京〜高知は途中の中継地として高松に寄ってから翌日出発でした。

十分な睡眠と休憩をとった後 🐇は今度は高松を経由せず直接高知の山荘に向かいました。高速道路のルートも今回は東名川崎ではなく中央道の調布インターを朝6時に出発して諏訪湖の手前から進路を西の岐阜・名古屋方面に取り新名神→山陽道岡山ジャンクションから瀬戸中央自動車道に入り瀬戸大橋を渡って川之江から高知道に入り須崎ICまで一気に走行。津野町のカルスト山荘に午後6時前に無事到着。

最近は高知の山荘に家財を運んだり西伊豆の搬出で軽トラ「虎太郎」で高速道路を走ることも多かったのですが平均スピードが80k/h と遅く所要時間もかなりかかりました。
同じ軽自動車でも高速巡行が楽なターボエンジンの「与作」=高知の国道439号線にちなんでつけた名前ですが 930kmを約10時間で一気に走り切りました。
良くやったぞ「与作」You did a good job !
山荘の車庫で待っていたメルセデスのお姉ちゃんやスポーツカーのお兄ちゃんもびっくりしていました。(笑)

なお「与作」はダイハツに軽トラを返却した後 10月に新車のムーブキャンバスが納車されるまでのつなぎの役目を果たす車です。あまりにもよく走ってくれる軽SUVの元祖の名車なので🐇はこの子に特別な感情が沸いてきます。
22/07/12 (Tue)


歯磨き粉がなくなって……!

歯磨き粉がなくなって……!
歯磨き粉って🐇にとって大事なアイテムです。普段は引き締め塩の薬用を使っていますが、ちょうどチューブを使い終わり次のものを出そうと考えた時にアメリカから妹が四国に来た時にお土産に頼んだニュージャージー州で買える歯磨き粉をもらっていた事を思い出しました。
確か四個ほどあり、そのうちのひとつを開封しました。

🐰は海外に出ると滞在先の街のドラッグストアで良くその国の歯磨き粉や歯ブラシを買い求め、帰国してから旅行地を思い出させる疑似旅行継続体験を好んで実践しています。実際使い始めるのは明日から、アメリカ東海岸のtasteを感じる予定です。
22/07/11 (Mon)


この2日間 良く眠れました!

この2日間 良く眠れました!
西伊豆のアトリエがなくなり本来この季節は爽やかな海風でエアコンを掛けずとも過ごしやすい西伊豆で快眠出来ていましたが、この週末に四国に移動するまでは荷物の整理もあって東京の自宅で過ごしています。

猛暑日が続くとヒートアイランドの東京は夜の睡眠がエアコンなしでは熱中症になってしまうのでこまめにスイッチを切ったりで なかなか寝苦しい夜になるのですが、撤退計画が無事終了した直後のこの2日間は幸運にも気温が25℃(真夏日の基準)を下回り安眠できました。

余程疲れているのかシャワーを浴びてワインを飲みながら夕食を済ませるといつの間にか睡魔が襲い赤ん坊の様に眠りについてしまう今の🐇です!

恵みの雨ならず気まぐれ偏西風の戯れと疲れた🐇を回復させてあげようと見守ってくれる神のおかげです。
22/07/08 (Fri)


虎太郎によしよしする🐇

<e345e>虎太郎によしよしする🐇
昨年の12月に登録して年が明けて2022年1月東京がコロナ第六波の感染状況悪化の状況下だったので新幹線三島駅で納車してもらった軽トラ初のCVTオートマの虎太郎。

6カ月間のリース期間満了で 本日ダイハツ東京販売の担当者Sさんが取りに来てくれました。

今年の会社の西伊豆撤退計画でこの虎太郎が大活躍してくれたことはこの日記にも度々登場してその働きぶりはご承知のことと思いますが🐇も本当に感謝しています。
お別れの記念写真をとる際に虎太郎の頭を撫でてやりました。
ありがとう虎太郎!
Usagi-Art 東京オフィスにて…
22/07/07 (Thu)


いま生きて暮らしている事 雑感

いま生きて暮らしている事 雑感
数日前 所用でJR東海道線に乗りました。

静岡駅に用があったのですが 新幹線もあっという間に着いてしまうのでここの処毎日 東名高速道路を車で往復していて心の疲れもあって 敢えて都心に向かってわざわざ東京駅まで行かずに済む方法を考えると小田急線の沿線の自宅からそのまま小田原駅に移動してオレンジとグリーンの懐かしい東海道線に乗車する事にしました。

途中 いつも車で通る沼津駅周辺を車窓から通過するとJR沼津駅の駅舎が老朽化していて今にも崩れそうなホームの屋根が見えたり、途中の神奈川県の相模湾沿線の有名な「根府川」・「湯河原」・「真鶴」もひどくひなびた感じがしたものです。
沼津に住んでいる友人や沼津市民も今まで沼津の方が大きな町だという自覚があったのに郊外の三島が発展してしまったと話す。新幹線を地元に引っ張ってくる力のある政治家がいなかったからだとも聴いた。


新幹線の停車駅「熱海」・「三島」などが駅前開発と在来線の連絡ホームなど大きく巨大化し駅舎が複合ビルになったり周辺が発展するのに各駅停車で新幹線の停車駅にならなかった在来線の駅は衰退して町の活力や魅力がないわけではないのに多くの人に見向きもされなくなる。

こんな現象が多くの業種や会社・店舗の形態が見られ例えば地場の資本力の少ないスーパーが大手資本のイオンなどに吸収合併されて今まで地産地消で魅力的な食材が大手のありきたりな中国から輸入した危険でありふれた魅力のないただ安いだけの商品が大手を振ってまかり通り人々もそんな商品を疑いもなく買い求める。

電車の中でほぼ全員がスマホを見ることに集中してちゃんと本や雑誌を読んでいる人が少ない など おかしな現象がまかり通る昨今の世界の暮らしのグローバル化は人を駄目にして同じ志向の人間だけが生きている様でつまらない世の中になってしまった。

それでも🐇もあと数年の命なのに迎合すれば良いものを絶対迎合したくない。
自分の考えで正しく世界を見て客観的に何が正しいことで何がおかしなことなのかをきちんと見分けたいといつも思うのです。

最近の日本はあまり好きになれない自分です。
22/07/06 (Wed)


10年を過ごした西伊豆のアトリエとお別れです!

10年を過ごした西伊豆のアトリエとお別れです!
7月5日 バルコニーに積み残したダンボール箱や雑誌を片づけに西伊豆の戸田に出かけて来ました。もう静岡の住まいは無くなり四国から東京に戻る際の中継地や暑い東京を離れて静かにエアコンも掛けずに夜ゆっくり寝られる場所もなくなると思うと感傷的になりますが、割り切って生きていかなければなりません。
もう四国中心の生活になることは分かっていたのですから……!

そんな事を考える暇もなく高知の山荘の環境整備や民泊登録の書類作りや県庁への申請も待ったなしで進めて行かなければなりません。
🐰はアトリエの門を閉めて次のミッションに邁進します。
22/07/06 (Wed)


梅雨明けの猛暑がキツカッタ……!

梅雨明けの猛暑がキツカッタ……!
今年の梅雨明け発表は例年より一ヶ月も早く、理論上では理解出来ずまた気象庁がいい加減な発表をしたと🐰は疑っていました。

西伊豆撤退計画の終盤に重なり年齢的にも古希に突入している老人にはハードな日々でしたが努力の甲斐あって6月30日には引き揚げ完了しました。ほっと安堵の気持で東京の自宅を片づけながらエアコン全開で猛暑と格闘したここ数日でしたが、これを書いている朝は久しぶりに体感温度が下がり少し動いても汗ばまない貴重な気温になりました。

やることたくさんあって忙しくしていますが体力を取り戻しつつあるウサギです。
22/07/05 (Tue)


虎太郎にシャンパンをかけてあげたい今の🐇の気持ちです。

虎太郎にシャンパンをかけてあげたい今の🐇の気持ちです。
6月30日に最後の西伊豆に向かう「虎太郎」
大きなミッションを終えて帰路さなぎ峠で10,000km をオドメーターが表示しました。
ダイハツ東京販売の担当のSさんにも無理を云って1月に三島駅に納車してもらいリース期間も間もなく終えて返却ですが今までトコット・スタイル・ロッキー・タフトと乗用車ばかり綺麗に使ってきましたが今回の商用車は本当に実用に徹して半年間🐇の会社の西伊豆撤退計画に全面的に協力してもらって役に立ってロバの様に働いてくれました。本当に感謝です。
今夜の夕食の時にシャンパンをかけてあげてご苦労様とねぎらってあげようと思います。ありがとう虎ちゃん。
22/07/02 (Sat)


そして掛かりつけの整備工場には廃棄タイヤを運ぶ

そして掛かりつけの整備工場には廃棄タイヤを運ぶ
軽自動車からスポーツカーまで 🐇の愛車を10年間 こつこつと整備や修理をしてくれた土肥の自動車整備工場と友人となった工場長にお願いして倉庫に保管したままの冬用スタッドレスタイヤやアルミホイル・オイル缶・交換した自動車部品など これもかなりの量になった自動車関連の部品。
タイヤは4台分16本にもなり2往復です。また遠いけどお世話になることもありバイク用品をプレゼントしてきました。
写真は芹澤工場長
長い間お世話になり 助けてもらって本当にありがとうございました。

札幌から東京に来て首都圏での暮らしは東京の自宅と四国の住まいは別として
西武池袋線:大泉学園町2年間
JR中央線:三鷹駅前のパソコン教室兼自宅2年
京王線:府中駅前の事務所3年
富士急行線;河口湖 鳴沢村の別荘4年
そしてここ西伊豆・戸田の別荘10年と 一番長く住まいとして使ったので撤退を決めて四国一本に絞って晩年を過ごす計画もかなり時間がかかりました。
22/07/02 (Sat)


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