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兎の放蕩物語


Sport car を日常使いする生活に…!

<e125e>Sport car を日常使いする生活に…!
これまでにも書いてきましたが 車を複数所有しているとなかなか乗れずに車庫にしまいっぱなしの状態でバッテリーも上がってしまったり 車のコンディションも悪くなったりします。

高知の車庫に入れていてオフシーズンに高知には一か月近くも行けずに気になっていた英国製のスポーツカー MGFを先日、高松に回送し整備工場で車高を再調整して高松で市内への買い物や病院通い 他、日常使いに活躍してもらうことに決めた今年。

愛称「Richard」Ricは期待通り相棒として🐇の日常生活を支えてくれるようになりました。ただここ数日粉雪が舞い、窓が凍り付くような寒い日にマンションの駐車場は屋外で 屋根がないので雨に濡れ、雪に耐えてもらっていますが自動車愛好家にとってはなぜか可哀そうです。でも本人に聞いたらご主人の🐇にいつも乗ってもらって 目にかけてもらう方が生きがいが見いだせますと申していて🐇も ならば しばらく余の傍にいなさいと話しています。

昨日雪が収束してリックとミルクの2台を洗車 水拭きして綺麗にしてあげます。寒風厳しく手が冷たいことも彼らの為に当然の仕事です。自動車は犬や猫・馬と同じように家族同然なので乗りっぱなしや手入れをしないで所有することは罪なことです。
24/01/26 (Fri)


香川輸入車ショー

香川輸入車ショー
この1月は例年より雨が多く松の天候はすっきりしない日が続いています。
週末に予定されていた「香川輸入車ショー」も初日は終日雨だったので翌日の日曜日の午前中に雨上がりの曇天の中、会場のサンメッセ香川に出かけて来ました。
でも あまり面白みもワクワク感もなく一言で云うとつまらない展示会でした。

コロナ禍で暫く開催は見送られていて昨年3年振りに開催され続いての2024年の催しだったのですが世の中の流れや世界的な自動車の日本の技術潰し策略の電動化一辺倒の風潮に当の被害国日本が電気自動車に侵略されたかのごとき会場の雰囲気は暗く重苦しいものだったからです。
日本に中国車は過去にはほとんど輸入されていない中、この地方都市の松に何と販売店が2月に登場するとは輸入自動車業界のトップは愛国心も国際的な視野も持ち合わせている経営者もいなくなってしまったのか?過去の人になってしまったヤナセ次郎元輸入車組合理事長だったらきっと今の時勢を嘆いて世界にものをはっきり言ってくれたことでしょう。

写真は一番まともなショーカーのイタリアのマセラティのクーペです。それ以外は未来の墓場に行く間違った車たちばかりでした。
24/01/24 (Wed)


会社設立20年終了後の決算報告を提出

会社設立20年終了後の決算報告を提出
🐇がヤナセ最終勤務地の札幌で退職を決意、何年も現役を離れた上での覚悟の独立を東京に戻り世田谷の成城で一人で会社を始めたのが2003年51歳の時でした。それから20年目の決算報告をこのほど担当税務署に提出しました。

約20年間 利益はあまり出せませんでしたが 500万の借金を返済し 倒産しないでここまで来たのは奇跡としか言いようがありません。もしくは いじめにあい会社を辞めるきっかけになった札幌支店の面々へ意地とプライドとヤナセロイヤリティの堅持だったのかも知れません。
北海道での自動車セールスマンの社会的地位はヤナセ・トヨタと云えども低く皆プライドを持って仕事に取り組めない人がほとんどでした、それと特殊な雪国事情で四輪駆動車のシェアが多かったので高級車や二輪駆動の輸入自動車は売れなくても当然だと誰もが思っていた地に 東京からやる気満々で転勤になったわけで 一人で張り切って大手法人の新規開拓を管理職仲間に進言しても誰もやる気がないだけではなく異端児を排除する地場の古手の管理職の攻撃に合い ただただ苦悩の4年間でした。

そんな私は意地でも自分の考えを通しヤナセイズムを取り戻すための覚悟の反乱だったのですが 若気の至りでぬるま湯に浸かって適当に流せる策も持たず 一人苦戦するのみの苦い人生経験でした。

自動車だけではなく文化事業もしたくてワイン教室やパソコン教室も三鷹駅前で展開した最初の10年。以降民泊業務やホテルの再生に協力する形で中禅寺湖畔にまで住まいを一時的に移し真剣勝負で大改革を実施したりの 波乱万丈の年でしたが、逆に得るものも多く🐇の得意分野で活躍したり晩年は自分らしく生きることの自信も得られた年でもありました。

72歳になった今、会社を存続させるか たたむか次の決断も近い時期です。
民泊事業の行方で判断するつもりですが、昨今の何が起きるか分からない世界で生き残るしたたかさも身に着けていかなければなりません。厳しい一年になりそうな予感です。
24/01/20 (Sat)


日常のリズムを取り戻せた🐇です!

日常のリズムを取り戻せた🐇です!
年明け早々の2024年の日本の波乱万丈なスタートや自分自身の健康のこともあってちょっと調子が出ないまま半月を過ごしてしまった🐰でした。

高知に一度戻って、また高松に帰ってきてここ数日自分のリズムが戻ってきたような気がします。色々な巡り会わせで不幸があったり病気をしたり、悪い人と出会ってしまったり人生は生きていると色々な事がありますが自分の立ち位置やスタンスをブレずに維持していけたら何とかなるものですね。まあ、なるようにしかならない部分もありますが深刻に考えずにあらゆる流れに身を任せ客観的に自分を俯瞰して観察できれば大丈夫なのかもしれません。

ここ高松に最初に部屋を借りてから早や10年、海を見ながら既に4軒目の湖の傍の家にたどり着き 高知にも もう一か所 山の家を西伊豆の海のアトリエの代わりとしました。故郷のなかった🐇が見つけた心のふるさと四国で🐇は骨をうずめるかもしれません。
写真は10年前に瀬戸大橋の下「沙弥島」で撮影したもの。
24/01/20 (Sat)


約一週間の高知滞在は有意義な日々でした

約一週間の高知滞在は有意義な日々でした
昨年のクリスマス前に雪の日が三日間も続き嫌気がさして高松に引き上げたもののずっと気になっていた高知のカルスト山荘。

やはり帰ってきてよかったと…。
留守中は暖冬により好天が続き雪の日は三週間以上なかったようで、水道の凍結も給湯器具の故障や破損もなく、雑草は寒さで生えず庭のメンテも不要で室内や水回りの点検や調整をして2月から予約が入っている客室の模様替えや寝具の再点検などして高松に戻ることになりました。

ただいつもは車庫に入れっぱなしのスポーツカーを急遽高松に連れて帰ることにして普段は交代で運転する200kmの工程を今回は一人でマニュアルミッションを駆使しながら峠道ドライブを楽しんで戻ったわけです。
写真はレイクサイドに戻った愛車リチャードです。
24/01/18 (Thu)


三週間振りのカルスト山荘B一番近い町の珍しい家を発見

三週間振りのカルスト山荘B一番近い町の珍しい家を発見
前の日記で書いたMGFを走らせて一番近い津野町の商店街がある町「新田」の一角の川沿いの街並みの住宅街にイタリアのアルベロベッロのとんがり帽子の家「トゥルリ」の様なデザインの住宅と関連した建物を見つけて立ち止まり車を停めて外から見学させてもらいました。

もう一度訪ねて詳しく見てこようと思いますが🐇の山荘のある村の人に聞くと 若い頃大阪に出てバブル景気の時に大儲けした大工さんが故郷の津野町に帰ってきて自分の好きなデザインで家を建てたそうで 今はリタイヤして夫婦でのんびり暮らしていて誰が行っても歓迎してくれますと見せていただけそうなお墨付きをいただいた。

ひとつ楽しみが出来ました。改めてお訪ねして興味深い話を聞いて来ようと思います。スローな生活をゆったり遅れる🐇の新しい発見です。
24/01/15 (Mon)


三週間振りのカルスト山荘A実は好天が続いていた!

三週間振りのカルスト山荘A実は好天が続いていた!
山荘に到着して友人を招き ともに食事をしました。
聴いてみると🐇が高松に帰った翌日から天気は崩れず雪が降ることもなく好天が続いていたようだ。

確かに車庫も湿気は微塵もなく車もきれいに保たれていたが三週間以上も留守にすると愛車リチャード(MGF)のバッテリーがまたも上がってしまっていてセルが動かないのでクリスティーヌ(ベンツ)のバッテリーとつないで問題なくエンジン始動。ただあまり長距離も乗らず完全充電していないのに留守が多かったのでバッテリーの能力がかなり下がっている。充電もかねて街に買い物に行きエンジンをかけっぱなしにしながら2時間ほど走らせてきて復調しました。なるほど写真のように空気が澄んで気温は低いが青空が広がる来客駐車場に停めて雄姿を撮影します。🐇も車もナルシストで自分が大好きな生き物です。今にも獲物にとびかかりそうなMGFでした。
続く→to be continued
24/01/14 (Sun)


三週間振りのカルスト山荘@高知の海を見ながら…

三週間振りのカルスト山荘@高知の海を見ながら…
12月20日に山荘滞在時に雪が降り始め、寒さと続く雪で僅か3日目に高松に深夜高速道路を飛ばして予定より早く切り上げて帰ってきたものの 高松の住まいの駐車場のBeetleも頭に雪帽子を被っていて全国的な寒波襲来は香川も高知も一緒だったんだなと思いながらも古民家の日本家屋と断熱材の入ったマンションの部屋では室温のレベルが違っていてやはり逃げ帰って良かったと内心思いながらクリスマスも友人と食事をしたかったのでそのまま高松でお正月を迎え三週間も高知を離れて暮らしました。
ばちが当たったのか年末には体調を崩し病院通いでかろうじて元旦には熱が下がりましたが体調がすぐれない日々を過ごしてしまいました。

元気も出てきて体調も良くなったので気になる高知の家を見にカルスト山麓に向かいましたが、この時期の高知の海側の温かい陽光が恋しく遠回りをして山荘のある津野町に無事に夕刻到着。

写真は土佐市の宇佐地区から須崎市にまたがる内海「内之浦湾」の素晴らしい景観です。毎年 この時期引っ張られるようにこの土地に吸い寄せられます。
我儘な遊牧民生活です。渡り鳥のように移動する日々です。

→続きます。 to be continued.
24/01/13 (Sat)


大師さまのお住まいを綺麗にする🐇

大師さまのお住まいを綺麗にする🐇
体調も回復して高松の部屋の敷地に隣接するリゾートホテルに設置されている「弘法大師石像」の東屋の環境美化にボランティアですが二日間に渡って手水舎(テミズヤ)の水の入れ替えや落ち葉の除去・大師様の身体を水拭きして綺麗にしてあげました。
この大師様には高松滞在中には毎朝 御顔を見に参拝して日頃の生活の報告をして守ってくれるようお願いしていますが、最近ホテルの管理が行き届かなくなり ホテル側と話をして善意で友人と清掃をさせていただく許可を得て早速実行することにしました。
すごく綺麗になり心も洗われました。そして新しい年、体調も回復して仕切り直しの決意もできました。
皆がお互いに思う気持ちが伝われば道は開けます。
真面目な話題で退屈されませんように…。
24/01/10 (Wed)


本当にぱっとしない新年のスタートでしたが…

本当にぱっとしない新年のスタートでしたが…
年末からの発熱と肺の具合がしっくりせず小児喘息にかかったように呼吸が苦しいお正月のスタートでしたが、元旦の能登半島の地震や津波、二日の航空機事故などが続き自分の体調も悪かったことからどうもパッとしない新年の始まりで心が晴れない日々を送っていました。

昨日アメリカの民泊サイトairbnb(エアビー)からの連絡で「Super Host」の1月度の審査でスーパーホストの権利継続(タイトル保持)の一報を受けて安心しました。

4項目にわたって3か月ごとに審査をされて総合評価が4.8以上というかなり難関の審査基準を昨年10月に初めて資格を獲得して初の継続審査はかなりの難関でした。
11月に7軒23名のゲストを受け入れ紆余曲折がありましたが手ごたえはあったものの自信はありませんでした。

それ故 今年のこのさえない状況を打破してもらえる吉報に🐇は大喜びして、これじゃいけないなと思っていたので良い起爆剤になった次第です。
明日から新しい希望をもってこの進まないお正月休みのマンネリと不透明感・不安感を払拭して🐇の生き方を支えてくれそうです。

24/01/06 (Sat)


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