穴 |
骨
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ひとりでも幸せに立ち向かえる強さをください。
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2011/10/19 (Wed)
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知らないこと
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誰のことをも傷つけないで生きることなんか絶対に出来ない。でもそれは誰かを傷つけることへの言い訳にはならない。してはならない。
たとえば癒し系の人なんかは「罪悪感は持たないでいい」みたいなことを言いがちだけど、それはどうだろう。 罪悪感や無力感もちゃんと抱えていたいというのは欲張りだろうか。 ああ、特定の何かのことだけを言っているわけではないのですが。 何が人を傷つけるのかなんて、本当にわからない。 |
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2011/10/12 (Wed)
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冷たい雨
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10月の雨。とても寒かった。
毎年10月には、必ず大風邪をひいている。自分で自分の面倒が見られないのだ。お風呂上がりに薄着でぼんやりして気がついたら体が冷え切っていたとか、毛布一枚出すのを面倒臭がって一晩寒い思いをするとか、そんなのばっかり。今年は気を付けてみようとは思っているけれど、既に喉が痛い。 「納得をする」ということについてぼんやりと思いを馳せている。世の中に整理出来るようなコトやモノがどれほどあるのか。 わたし達は納得をするために生きているわけではない。納得感を得ようとするあまりに取りこぼすものもあるだろう。しかし楽では、ある。 自分の思うとおりになることなんてほとんどありはしないけれど、それは誰のせいでもない。 |
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2011/10/07 (Fri)
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夜を歩く
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夜。歩いたり自転車を走らせたりと、わりと徘徊している。秋だから。金木犀と白粉花の香りが混ざって気が遠くなる。
闇は怖くてキレイだな。火なんかもそうだけど、我々は「怖い」という基本的な感覚を手放してはいけないのですよ。 手放さず、戦わず、共存してゆきたい。 隣町に、すぐにでも住めそうな空き家(たぶん)を見つけた。古い平屋。 人間関係で思い悩むことから離脱したい。そんなことよりも、暑いとか寒いとか、雨が降ってるとか、光が眩しいとか、そのようなことにもっともっと目を向けていたい。 わたしに残された時間は、あとどのくらいなのかしら。骨が軋む。 |
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2011/10/05 (Wed)
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家
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南武線と京急線をガタゴトと乗り継いだりしていました。
いくつになってもどこに行っても「すべての人が自分よりもハイレベル」という、最下層から周囲を見上げるような目線でしかいられない。 そのような卑屈さは周囲を不快にし、困らせるだけだから、態度に出さないように言動には注意しているつもりでいるけれど。 まあでも、自分個人の自信の無さなどほんの些細なことで、どうしたらフーテンの寅さんのように人気だけで生きていけるような人が普通に存在出来る世の中になるのかなとか、そういうことに目を向けていよう。と、思う。 *** 京急沿いの大田区のあたりには、なかなかに奇跡的な古い家が多くある。そのような街は、何故かたいてい猫どもが生き生きと我が物顔で歩いている。「ネコの飛び出し注意」なんて看板があったりして。 最近、結婚ということについてよく考える。結婚生活に対して甘ったるい期待は1ミリも抱いていないけれど、自分のため「だけ」に暮らすことに限界を感じているので、2年以内には嫁に行こうと考えているのだ。今のところ嫁ぎ先にあては無いのだけど、なんとでもするつもり。 どのような相手がよいのかと、よく訊かれる。「暮らしたい家」の方向性が近い人がいいなとは、思います。 |
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2011/10/03 (Mon)
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細い月
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いい気候。
どんなに歩いても汗をかくほどには暑くなく、野外で腰掛けてのんびりと休んでもセータなどを着込むほどには寒くない。 こんな風な時期というのは、年間通してもそうそうあるものではない。だからむやみに歩きたくなる。 夕方、自宅から延々と多摩川沿いを下った。東京側。どこまで歩けるものかなと思った。 知らなかったけど、多摩川の花火大会だったらしい。楽しそうな人々を横目に、わたしはただ歩いていた。 ふと思い立って、下丸子の美味しいお好み焼き屋さんに行くことにして、さらに歩く。 ただ歩くというのは、動的な瞑想であるように思う。 様々な想いや思考が次々に浮かぶけれど、それらに捕まることがない。すべては流れて行くだけだ。 常にあのような精神状態でいられればよいのにと、切なく願う。 結局、多摩川駅まで歩いて電車で下丸子へ向かった。 お好み焼きは相変わらず美味しかった。 |
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2011/10/02 (Sun)
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10月の朝
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彼岸花の赤と飛ぶ鳥の重み。
そして今年初めての金木犀の香り。 |
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2011/10/01 (Sat)
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生の火
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古い民家を見物した。囲炉裏や竈。家の中に生の火がある。
火を守り火を恐れる日々。 焚き火が好きだ。遊びとしては手間が掛かりすぎるが、だからこそわたしは焚き火が好きだ。 その場にいる人間が、お互いの関係に気を使う以上に、火という自然そのものにそれぞれが手間を掛けている状態というのは、実に健全だと思う。 わたし達は、危ないから、面倒くさいからと言っては、生活から火を遠ざけ、見えないどこかへ閉じこめてしまった。 火のことだけではないけれど、便利さを追求し、生きることが簡単になった結果、余力が主に「精神性」や「愛情」「こころ」に注がれているのが現代。 腐りたくないな。 単純に比較できる事柄ではないことは百も承知であえて言うならば、わたしはわたしがいなくなったら「寂しい」と言われるよりも「困る」と言われたい。 |
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2011/09/26 (Mon)
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隙間
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なつさんのおばあさまが生けたという花の写真がとても素敵なので、実は今、会社のPCのデスクトップに貼って日々眺めている。
なつさんも書かれていたけれど、正しく左右対称であればそれでいいという訳でもないであろうお花の世界。 日本人の感覚として、中心を微妙にずらしたところに美しさを感じるというのがあって、たとえば漢字なんかを見ても大陸であれば左右対称のものが日本では微妙にアンシンメトリーだったりする。建築物も一見同じような見取り図でも、大陸だと扉が両開きであるところが日本だと片開きとか。 ‥‥これは、全然正確な引用ではないけど、わたしの好きな本に書いてあったことで、日本には何かそのような文化というか精神性はありますよね。(扉の話は、国土の広さの問題なような気もするけど、土地が広いとか狭いとかだって、当然住む人間の精神に多大な影響を与えているわけで) しかしそれも、前提として中心がピシリと定まっているからこその面白味であって、それがないと、ただただだらしないだけになってしまう。 花と言えば。我が家には床の間がある。今は完全なる物置になってしまっているけれど、あのような空間をそのままにしておくような余裕が現代には必要なのだな、きっと。 隙間と見れば活用しようとするのは現代人の悪い癖か‥。自戒を込めて。 |
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2011/09/21 (Wed)
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セパレートティー
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丁寧に入れて貰ったアイスミルクティーが美味しかった!紅茶も入れ方一つで全然違いますよね。
普段適当に入れて雑に飲んでる自分を反省‥。 |
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2011/09/20 (Tue)
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