チャンカーはマリオン


 ●●●  毬音212回目の月命日
毬音212回目の月命日
今までも強制では無く個人判断だったマスク着用が、3/13から「個人判断」と公的に情報としてメディアに流された。
これで航空会社は機内でのマスク着用は一部を除いて緩和されたようで、帰省の時の一番の苦痛が取り除かれたが、近所を見渡してもマスク着用率は大して変化は無い。 何故なのだろうか・・・まったく理解できない。
多数死者が出た注射も継続・推進。 政策としてコオロギを食わされたり、知らない間におかしな法律ができてたり、世の中の転倒ぶりが異常と感じる。
奥さんの故郷である釧路の観光名所の釧路湿原。ここに膨大な太陽光発電が出現してた事には驚愕した。 知らなかったのだが、それはメディアが取り上げてなかった事も一因。 
国立公園も簡単に企業利権に食われる世の中になったようだ。
こんな狂気の沙汰な今を毬音はどう見てるのだろう?  

物価に関しても上昇に歯止めが効かず、電気料金等は来月から倍額になる模様。
節約生活に入った我が家。生花を買うのを控ながらも、リューココリーネがあったので頑張って購入。 朝からオムライスも作った。
母の認知症の進行具合も含め、不安しかない先を見ても仕方ないので、今日ある自分の現状に感謝しつつ毎日を送るようにしている。
2023/03/16 (Thu) 23:00

 ●●●  ぶーさん逝ってまる1年
ぶーさん逝ってまる1年
コロナ、コロナと騒ぎだした2020年におさかなちゃんが逝き、2021年も続いたコロナ騒ぎの最中に母の大腸がんの手術・入院をきっかけに認知症がジワジワと迫り、去年3月3日日が変わって間もない時間に息を引き取ったぶーさん。
今でも居なくなった現実をどこかで受け入れられない自分が居るような気がするのは、この1年が母の認知症の進み具合の速さに翻弄され、ぶーさんの「死」を自分に浸透させる暇が無かったからかもしれない。
特にペットと飼い主という関係では無く「同胞」の意識を持っていた事もあり、喪失感に浸るのが怖かった事もあると思う。

1月に転居した母の住宅の後片付けをして、34年間母が暮らした部屋が空になり最後に家を出る祭には、深くお辞儀をして「お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を述べた。 
去る者より残された者の方が辛い事を身に染みて分かっている自分には、去り際に住処への挨拶は必然と思えた。

どんな形であれ、別れの際には感謝の念を忘れないようにしなければ。

毬音と過ごした時間よりおさかなちゃん、ぶーさんと過ごした時間の方が長いから当然と言えば当然カモしれないが、おさかなちゃん、ぶーさんの喪失感は居残る。
我が家に来て2年目になるマウ君が健やかに育つよう祈りつつ接する事が唯一の慰めになっている。

2023/03/03 (Fri) 8:24

 ●●●  毬音211回目の月命日・想ライブ@ジャムジカ
毬音211回目の月命日・想ライブ@ジャムジカ
2月1日に長期帰省から札幌に戻り、山積みの我が家のベランダの雪をおろし、日常を取り戻しかけた矢先に母が夜に徘徊未遂で警察の介入する案件が発生。それに加え母の家のネット接続が切れてしまい見守りカメラが稼働せず、状況がまったくわからない事態に!
急遽9日にまた帰省する事になった。
年末から1月にかけた帰省も2/1と2/9の札幌行のチケットを取っていたわけで、遅ければ9日に帰札予定だったのが、まさか9日に逆コースの

福岡に飛ぶ羽目になるとは。。。
実家に到着して即座にネット環境を改善、玄関ドアに遠隔操作できる装置を設置。役所へ徘徊の際の捜索用の書類を作成・提出等で駆け回る。12日に帰札の予定が平日でなければ成せない事があり結局14日の帰札になった。
認知症の進行速度は、人によって違うのだろうが、母の進行は速いと感じた。
なんせ僕が息子だと分からない時が多くなった。
大きな不安を抱えながらも札幌での自分の生活もあるので14日には帰って来て、どうにか16日の「想」のライブに間に合った。
諸物価高等の煽りで我が家は今年から生花を買う事を控ていたのだが、毬音の月命日のため奥さんが鼻を買って来てくれた。 オムライスは自分で作り帰省で買ってきた通りもんとチロリアンをお供え。
そして夜は「想」のライブ。 去年年末から生の楽器を触る機会がほとんどなく、しかも練習もろくにできなかった割りに、良い演奏だったと自負している。
セッション仲間の男性がライブに来店くださり、僕の事情をその方の102才になる母上に話をしたところ、102才の母上から僕に見舞いとして現金の入った封筒を預かっていると届けてくださった。
心がはち切れそうなくらいの感謝で泣きそうになった。
この場を借りて感謝を伝えさせていただきます。
本当に本当にありがとうございます。
そして一度「想」でゲストとしてボーカルで参加して頂いた事のある去年年末逝去した女性の詳しい話を聞き、無念の思いを抱き様々に大量な心情を受けた1日だった。
2023/02/16 (Thu) 23:42

 ●●●  毬音210回目の月命日
毬音210回目の月命日
この1か月更新してなかったが、特筆する事が無かったわけではなく、あまりの慌ただしさで更新ができなかった。
12月22日福岡に飛び、前日に帰省から帰った弟と入れ替わりでショートステイから戻った母を出迎えた。実家は狭いのでウィークリーマンションで2週間少々過ごしつつ毎日母の元へ行き朝食・昼食の用意をして食べさせる。デイサービスがある日は昼の間は息抜きできた。晩御飯は弁当が届くので助かっていたが、年末年始は弁当も福祉サービスもお休みになるので、朝昼晩と食事の世話をして年末年始の慌ただしさとは全然違った慌ただしさで年を越した。
母と正月を迎えたのは40数年ぶりだと思う。
大阪暮らしだった頃、まだ福岡には近い事もあり、正月に帰ろうと思えば母は「あんたが来たら料理つくらないけんけ、来んでいい」と断られたこともしばしば、そんな訳で一般の人々のように正月は田舎で家族と過ごすという常識的な帰省は無かった。  ケアマネさんから「お母さんと一緒に正月を過ごすのは最後になるかもしれませんよ」と言われたが、自分としてもそのつもりだったが、認知症の母には年末も正月も関係なかった。
年明け1週間後に母の住む公団が取り壊しでの転居先のカギを受け取り、何もない部屋で一人、母の家に通いながら新居での受け入れ態勢を整えていた。カギを受け取るタイミングで弟も帰省して母の世話は分担できたのは助かった。
今回の本来の目的でもある引っ越しを1月14日に行った。
認知症には大きなリスクを抱える引っ越しが今回の山場である。
引っ越し当日の朝、頼んだショートステイの迎えが着て見送り、1時間後には運送屋が来るので弟と2人で大急ぎで荷造り。引っ越しとは言っても引っ越し先は200メートルも離れていない住宅なので、大物荷物だけ運んでもらい、日用品・衣服や小物は自力でピストン搬送なのでとにかく2泊3日で母がショートステイから戻るまでの間に新居での生活スペースを作り上げる必要があった。 荷物をまとめていると、母が30年程の間あらゆる工夫を施して築いたこの生活空間を取り崩す事の後ろめたさと、寂しさと悲しさに何度も苛んでしまう。たまにしか帰ってこない自分でもこんな悲しい気持ちになるのだから、母にはいたたまれない気持ちなのだろうと想像すると、ショートステイから戻ってくる母の反応が恐ろしく、母が戻る16日は朝から緊張しつつ毬音には冷凍もののオムライスで勘弁してもらい月命日の祈りを捧げた。 
当初は「家に帰る。帰りたい」と言うだろうと弟と予想してたが、念入りに考えてコーディネイトした新居に拒否感は無く、いい意味で予想を裏切られた。新居も狭いながら、何とか一人は泊れるスペースを確保していて、母の様子次第では弟か自分が泊まってケアするつもりだったのだが、母の口から「もう外は暗いけど、宿に帰れるか? 狭いけど泊まっていってもいいよ」という言葉が出たので一安心。  今後ここで一人で暮らす母を思えば取りあえず新居で一人で寝る感覚を覚えて欲しいので、弟は宿へ、僕は母が住んでいた転居元の住宅に戻った。転居での住所変更や諸々の事務処理と母が新生活に慣れるまでのケアと旧居に残った家具の処分とごみ処理のため2週間ほど滞在予定。 母がすんなり新居に収まってくれたのも毬音のおかげがあったかもしれない。
写真は荷物整理をしていて発見した、懐かしい牛乳の蓋を開けるオープンナー。
2023/01/17 (Tue) 0:59

 ●●●  毬音209回目の月命日
毬音209回目の月命日
12月10日早朝、実家母宅の見守りカメラを確認すると、居間で倒れ込んでいる母を発見。たまたま帰省中で小倉のホテルに泊まっている弟に連絡を入れ、実家に急行してもらう。 カメラではまったく動かない母は事切れたかと焦り速攻で当日の飛行機のチケットをネットで購入。
弟が実家に至る途中で途中で救急車を呼んでくれたが、弟が到着したとき母は半身億上がって反応したらしく、救急隊員が来た時は立つこともできていたとの事。ただ発熱があり、2日ほど前検査入院から帰ってきたばかりの時にも発熱してかかりつけの往診医師に来てもらいコロナ感陽性が出た事もあり、救急車で搬送された。 母の状態から自分が急いで帰省する必要も薄れ、1月には母の転居で1か月帰省する予定を前倒しで25日に帰省する事とし、当日の飛行機キャンセル、25日帰省時期で値上げ傾向の飛行機チケット購入と結構な出費となる。
本来その日埼玉に帰る予定だった弟は濃厚接触者という判断から動きが取れなくなり北九州滞在を延長せざるを得ない状況が幸いした流れとなったが、10日以上の想定外の帰省期間での出費は大きかったようだ。 その出費に比べると自分はまだ傷は軽い。

そんなこんなで慌ただしい1日以降日常の生活サイクルを送れたわけだが、心情は穏やかでは無い日を過ごしていたという言い訳なのだが、毬音の月命日を忘れていたわけではかく、しっかりとオムライスや花のお供えは欠かして無い。 しかし祈りであるライブ演奏は11/15日以降無い。来週から帰省して5週間以上札幌を留守にするので、毎年1月に小山彰太さんと自分とパーカッション宮木さんとのドラム2台とパーカッションの変則トリオの年始恒例となっていたライブも行えず、毬音も自分も寂しい思いをしている。
帰札予定は2/1だが、転居での母の認知症進行状況で帰って来れるか心配なので、一応2/9のチケットは押さえてある。 しかし2/16は「想」のライブを入れてあるので、2/9には帰ってきたい。

そして1か月以上留守にする家も心配で、しかも年末年始も留守にして新年を一緒に迎えられない。 奥さんと愛猫マウが寒い思いで年越しと考えるとやるせない気持ちになる。

今日の写真は毬音と行ったスウェーデンだかデンマークで飲んだビールの写真。

2022/12/18 (Sun) 17:19

 ●●●  手稲・JIVE/おさかなちゃん命日
手稲・JIVE/おさかなちゃん命日
26日土曜は何年振りかで2度目の手稲JIVEで演奏した。
メンバー 鷲見健(P)藤田K一郎(B)と名前は失念したが若いアルトサックス男性。
健氏のオリジナル曲とジャズスタンダードものを数曲のファーストセットにて参加。セカンドセットは若手ドラマーと入れ替わりファンク系のライブ。

29日はおさかなちゃんが逝ってまる2年
僕が横になれば枕を共有するかのように寄り添ってきたおさかなちゃん。
その存在を喪って2年になるが、去年晩秋頃から今年の3月はぶーさんの世話でおさかなちゃんを偲ぶ暇もなかった気がする。
今年はぶーも喪った状況下でおさかなちゃんを想うと寂しさもひときわ大きい。
珊内でのサイレン、そしておさかなちゃんとぶーさん。猫が自分の人生にここまで深く関わってくるとは思いもしなかったが、今居るマウ君も含め、出会えて本当に良かった。

明けて11月最期の日30日は朝から雪が降りしきり、冬がやってきた。
2022/11/30 (Wed) 7:03

 ●●●  想@ジャムジカ 208回目の毬音月命日
想@ジャムジカ 208回目の毬音月命日
15日はジャムジカで「想」のライブ。
一度は活動停止を考えてlastライブまでやり、年に1〜2度演奏出来たらと再稼働した「想」だが、振り返ってみると、今年は4回目のライブだった。
演奏させてもらえるお店とマスター、付き合ってくれるメンバーに感謝あるのみ。
想のギタリスト古舘さんファンの女性客のかたがおられるのだが、古舘さんが出演するライブは悉く制覇してるようであり、即ち「想」のライブにもほぼレギュラーと言っていいくらいに来てくださる。
彼女はガンを患い現在も治療中なのだが、昨日の話では治療の経過も良好だとか。それを聞いて安堵。そして更に嬉しかったのは、彼女に彼氏ができた事と、その彼氏と結婚も話し合っているとの事。何故か自分事のように嬉しく思えた。 この日の演奏内容の充実もあったが、帰宅して気持ちが満たされている自分に気が付いた時、何故ここまで満たされてるのか考えたら、彼女の状況が自分にも喜びの波動を分けてくれたのだと思えた。 ありがとうございました!

明けて16日。朝5時半に愛猫のひげが僕の顔をくすぐり目覚め、今朝はオムライス作る暇が無いと思い、昨夜ライブの帰りに冷凍オムライスを買って来てたのだが、早く目覚めたので作る事にした。
愛猫のおかげで今月の月命日は手作りのオムライスと昨日奥さんが毬音へのお供えにと買って来てくれたロールケーキをお供えできた。

昨日のライブのアンコール曲は、毬音が好きだった「サニー」を演奏して届けた。

自分と関わる全ての人々、物事、事象に深く感謝。
2022/11/16 (Wed) 8:45

 ●●●  trio・Happen to @レージーバード
trio・Happen to @レージーバード
2日前に442年ぶりの皆既月食+天王星食の現象を垣間見たが、なかなか地味で感嘆するほどでは無かった。
10日は何年かぶりの取り合わせのEXPLOSIONからピアノ石橋マヤ子さん、想からベース大久保太郎さんでのトリオ演奏。
久々に家の奥さんも観に来てくれた。
選曲は自分のやりたい曲がほとんどではあったが、割とバラード系が多かったのが我ながら意外。 年齢的なものなのかも。。
予定していなかったアンコールには、その場で決めたオールブルース。
リハも何もしてないだけに、これが一番自由に展開出来て面白かった。

スマホを家に忘れてきたので、この日のドラムセットの写真は無いので今回のフライヤーを貼る事に。
2022/11/10 (Thu) 23:54

 ●●●  渡辺バンド@ジェリコ
渡辺バンド@ジェリコ
先週金曜。10月中にやり遂げる必要のある急用で、早朝から洞爺湖へ行かねばならなかった。 前日冬タイヤに交換して挑む。
なかなか大変な要件であったが、何とか無事に勤め上げた。

そして11月。この日はピアノ渡辺さんリーダーでのジェリコライブ。
メンバーはボーカル阿部純子、ギター行澤優、アルトサックス横山雄希、ベース松永和紀。
各それぞれとは一緒に演奏した事はあれど、この組み合わせでは初めてかな?
珍しくススキノの廉価な駐車場が軒並み満車状態で駐車場を求めて探し回り、若干遅れてジェリコに到着。 お客さんもそこそこの数入った。
自分のリーダの時もこのくらい入ってくれると嬉しいのだが、、、

前半はインスト中心で公判は歌入りのセットで演奏。
遅れてしまった事で、自分のサウンドチェックが出来ず、この日は自分に届く音のバランスが悪く、内面的にチグハグな状態で演奏する事になってしまった。 メンバーにもお客さんにも申し訳ない気持ちになってしまう。
天気予報では平地でも降雪だったが、何の事は無い雨も雪も見舞われずに済んだ。 いつもの駐車場の料金が100円アップしてた! 世の中何に於いても値上げ。辛いねぇ。
2022/11/04 (Fri) 23:36

 ●●●  帰省と同窓会その2
帰省と同窓会その2
23日朝の便で羽田、リムジンバスで千葉の君津へ移動。
中学の同窓会へ初参加のためと、父の妹にあたる叔母さんの訪ねるために十数年ぶりに君津入りした。
リムジンバスのターミナルから駅まで徒歩だと小1時間かかるところを、集合時間まで1時間少々あったので丁度時間つぶしに良いと6キロほどの荷物を背負って歩いてみた。
懐かしい昔住んでいた社宅近くや卒業した小学校、中学まで自転車通学した道のりを歩いた。 ほとんどが変わっていてわからない景色になっていても、『この溝は修学旅行前夜に興奮して学校の前で友達と夜までおしゃべりをしてて、その友人が我慢できなくて野糞をした溝』とか、『高校の頃友達のバイクの後ろに乗って前方に止まっているダンプを見て僕が事故りそうなダンプだなと呟いた途端にダンプラ右折してきて、バイクもろともダンプの側面に巻き込まれそうになり死にかけた道』や、昔斬首場で首を晒してたという歴史的な場所とかを見て回りながら歩き、結局集合時間2分前に会場に到着。この日は最高気温も夏日だったのでTシャツ1枚でも汗だく状態で記念撮影!

毬音が札幌の大学病院に入院してた時、たまたま偶然にその病院で看護師をしていた中学の同級生が居て、毬音共々とても世話になった。
毬音逝去後、毬音に追加治療を受けさせなかった事で僕はその同級生に責められて絶交状態になっていたが、毬音逝去から数年後、その看護師の同級生がガンで亡くなった事を知った。
今回同窓会に参加できたのは、その看護師同窓生が導いたと感じている。
彼女も参加したかったのだろう。だから僕は彼女の魂を背負って同窓会に参加させてもらったつもりでいる。
同窓会では48年ぶりに再会したが、男子はほぼ分かったが、女子はわからない人がほとんどだった。 同窓会参加はこれが最初で最後になるかもしれないと思いながらも、本当に楽しかった。 

何か月か前に、母に君津の叔母さんから電話があった祭、お互いに会いたい会いたいと繰り返していたのを聞いて、叔母さん宅にタブレットを持ち込み母とテレビ電話で繋いでお互いの顔を見ながら話しさせようと思いついた事と、同窓会が帰省で札幌へ帰る日と重なった事で実現した。

同窓会の翌日、東京に移動して、同窓会に参加できなかった昔から仲の良い同級生と会い、念願の葛飾柴又・寅さん記念館を訪ねる事ができた。 これは自分にはとても嬉しい事であり、寅さんファンとしての面目が保てた気がする。
千葉・柴又の滞在を十分満喫して、成田から札幌へ戻る。
ほぼ1週間留守にしたので、猫のマウ君から1時間ほど知らないオッサン扱いを受けるが、思い出してくれたようで安堵。

今回は本当に良く歩いた帰省でした。
2022/10/25 (Tue) 19:02

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