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ようやく晴れた
ツラツラ二時間、やっと出てきた答えを書き留めて。
ようやく言える。
誕生日おめでとうを当日に言えなかったよ、ごめんね。
あと、待ってて。
2011/07/06 (Wed) 3:37
キャラクター造形の2パターン
誰にでも一冊の物語を作りだす・書き出す能力はある。
だってその一冊は、その人の人生の物語だから。若しくは多少アレンジして生まれた思想の写し鏡。最近はそう思ってるんですよ。モノカキについて。
で、作家というのは一冊と言わず何十何百も物語を作り出していかなくてはならない。定期的に世に送り出すから、仕事に出来る。
まあ、一か百か。作りだす数がアマかプロかの差だと思います。技量とかは置いといて。
で、キャラ造形にはそれに比例して二つのパターンがある。
一つは、誰でも一冊は作れる物語の登場人物。(アマチュア的作成法。潜在意識に基づく。気まぐれで生まれるしかない)
もう一つは、属性の組み合わせによるキャラメイク(職業的作成法。表層意識に基づく。機械的生産が可能)
んでもって、ぱっと我が子で考えてみると。
マージュ組とうさき組は前者で、ジョブキャラ組だけ後者なんですよ。
まあ何しろ自己満足&思春期に書き始めたもんだから客観性はなくトラウマによって無意識に抑制されてる部分がある。だから何べんも改稿したくなるんですよね、時間を置いて読み返してると。
だから、あの子らはどこかで理不尽な部分がある。その性格に。
これは絶対的に受け付けない、っていうものに出くわしたら激しく主張する。
それは私の嫌いなもの、トラウマを割り振って分散した結果。自己主張の小説であり、その当時から「小説だけど、これは私の心象日記です」と思ってたしそう言ってたり。
でも、だから勝手な彼らは客観的に俯瞰してても喋ったり動いたりしてくれない。どこまでも私が主観的になって、潜りこんでいかなきゃならない。
で、異色なのがジョブキャラ組。
まあ彼らは基本的に大人、というかジョブを持ってるという点で社会人。
そもそも企画に乗って、沿えるようにキャラを作ってから彼らの為の物語を書いた。
客観的な作り方で始めたから、ある種で彼らは『演じてくれる・応えてくえる』相手なんですよ。人形劇主催の私に付き合ってくれるというか。
まあ、それこそメイン三人組+コジョーカは成人として考えたわけですから。
柔軟性があって、だから彼らのトラウマが何なのかハッキリしないんですよね。考えてみても。
物語書いてるうちに、ストーリーのライン的にこれは嫌いになったな・好きになったなと判明というか謎とき的に埋まってくことはあるんですが。
まあだから、トラウマを原動力にしてるわけじゃないから作品を書きやすくはある。
しかし整合性が付きすぎる(←少なくとも私の脳内の中では)ので、あんまり惹かれることがないのが難点で。まあ『原点』には成りえないキャラ造形なんです。作者の都合一辺倒な見方になりますが。
で、そこで話が戻って前者。マージュ組、の代表。主人公の清海たちは私のトラウマと理不尽性と暴力性に端を発するわけで。彼らは、とりあえず書いてみないことには次の行動が予測不能。本能的に、指が弾きだすままに語るんですよね。
で、作者として気付かされるんですよ。「このキャラがああいう言動取るなんて。私はこういう思考をしてたんだ」と感じるときがある。たまに日記で長文書いてて、自分でも思わぬ方向に結論が結び付いたときのあの感覚と同じ。
だから、とくに初めて書いてみた長編小説の主人公は私の原点が詰め込まれてて。キャラデザインが中々固まらないのも、色々詰め込み過ぎてるせいかなーと思った。
そんな日々。
□□□
とは言ってもまあ、キャラ造形の境界線は曖昧で。
書いてて途中で、「でもジョブキャラシリーズの嫁さんとトルカッタさんは前者なんだよな」とか思ったり。そしてそういうキャラのほうが属性ありきで作ったキャラを導く、引っ張っていく役割を悉く担ってるんだもんなー。嫁さんが良い事例。
しかしナルシスト極まりない文章になったな、これ。
2011/07/06 (Wed) 2:37
夏の風物詩
前に言ってた、白いキラキラ風の写真です。
でもちょっと分かりにくいか。
三毛猫の右前足あたりがうっすら発光してるように見えません?
カメラの設定弄らなくても、梅雨の時期はデフォルトで撮れるんですよ。湿気のせいかな。
あと、下に長文書きました。
あんまりに長いんで、一旦ぶち切って写真を投げ入れてみた。
2011/07/06 (Wed) 2:34
自己の原点に当たる。
久しぶりに、清海(『マージュの空』)と遇ってきた。
というか悶々悩みつつ絵の練習に、と適当に描いてたら表出してきたの。
この子はキャラデザが決まらないことで、なかなか主人公のくせに絵としては出現させにくいことで私の中にいたんですが。
(↑心情としては主役なだけあって、ポンポン出てくるんですけども。お題やベクトルさえ設定してしまえれば)
思えば、自我とは何ぞと問われれば。
それは曾祖母の命日、と私は答えられる。
数字にして、1999年11月14日。世紀末。
エミールの言うところの『第二の誕生(日)』です、私にとっての。
ピアノの発表会を終えて、一息吐いた直後。その日の晩に。
曾祖母は風呂場で亡くなった。死因は今でも正確なところは分からない。
なんせ、後々に死に間際の曾祖母は狂人のように、「人影が見える」だの言って。
それを父は気味が悪いと思って私と兄の耳には入らないようにしていたそうだから。
それでも、鮮烈な思い出がある。
風呂場から引き上げられる曾祖母の綺麗な安らかな眠り顔。
お湯に溺れたようには見えない落ち付いた寝顔に、あの人は寿命で亡くなったのだと信じた。
それでも悲しいものは悲しい。
身内の死は、考えても考えなくても実物の身体を見ていると涙がこみあげるものだ。
だから、私は何があっても家族を「クソババア」とか呼んだりしたことがない。
そしてそう罵倒する人間は血も涙もないのか。身内を亡くしたことがないんだな、と冷めた目で見る。
もしくは、亡くしていたとしても身内だと思っていなかっただけか。
まあ今のご時世、自分が生まれる前に曾祖父・曾祖母は亡くなってたという人が多いでしょうし。
現代だと二十歳とか社会人になってから身内を亡くすのが一般的なんですかね?
よくわからないけど。私は9歳のときに経験してしまったものだから。
だから、死から私の生は始まるのです。だから私は死生観と言い表す、己の価値観・尺度を。
死んでしまったら何にもならないよ。その後には善も悪もない。
居るのは、成すのは仏の名と位牌。生きてる人間が残したがるのは記憶と遺影(記録の断片)。
そういう点では、他人の死に関しては仏教的価値観を持っていたらしい。
まあ、亡くしてからずーっと一年くらい毎日ベットの中とかで泣いてたからね。
「悲しい」「悲しい」と思って泣いてた日々から、記憶の連鎖がある。繋がりが始まってる。
なんでかしら、10歳になってから急に自我を持つってイメージがそれ以前にあったのよね。
(いや表層的には、『神風怪盗ジャンヌ』の影響だろうと記憶してはいるのですけども)
だからそのイメージに従うべく、必死に曾祖母を忘れまいとしてたんだろうね。
故人の声(私の名を呼ぶ一声)、名前(必ずクツにはカタカナ表記で書いてあった)、愛用してた上着。
ときたま脳内で再生しては忘れないようにしていた。
そうやって、毎日の記憶が一繋がりに今でも覚えてる。少なくともそう感じてる。
だから過去を振り返ってみたときに、私の自我はどこで発生したかと問われれば。
悲しいと毎日泣き続けるようになった最初の日、原因の日の曾祖母の死に価値観の集約がある。
真面目に語る相手を欲しいと思ったら。
『貴方が初めて身内を亡くしたのは何歳の時ですか?』
そう問うてみたい。
私はそう訊いて、相手が信頼に足るか調べたい。
そのときの応答で性格が見抜けるはずだ、と思ってる。
答えようと考えようとしない人間は論外。真心がない。
それさえ判ってれば、最低限の相談事は可能だと、コミュニケーションは図れると信じられる。
信用がなければ社会は渡れないとは言うけれど。
自分から相手を信用する力を持たないと、誰からも信じては貰えない。
この世はそういうもんだと思ってる。性善説で構わない。
2011/07/06 (Wed) 1:20
テレビメモ
・マラムレシュ(ルーマニア、伝統の村。生命の樹とモミの木)
・ウユニ海原(世界で最も平らな地。『天空の鏡』)
ルーマニアのほうは今日の世界不思議発見から。
吸血鬼伝説の関係から、ルーマニアと聞くとざわざわします。
(↑一にドラゴン、二に吸血鬼が好きな笹木さん)
しかしこの季節は湿気が多いなあ。
厩舎あたりで携帯のカメラ機能で写真を撮るとデフォルトで白いキラキラ風の写真が撮れました。今年もというか、風物詩というか。今度上げますね。
昨日の晩から帰省して年中行事の手伝いしてたんですが、日本家屋にいるのに汗掻いた。←普通は冷房掛けなくてもムシムシしないもんです。動き回ってれば。
で、テレビの報道では昨日今日とうちの県は真夏日を記録したそうです。
猛暑にならなきゃ良いのに。
2011/06/25 (Sat) 22:17
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