……球磨川禊(byめだかボックス)?
いや、そっちじゃなくて。
馬術部の排他的構造、壁。そして壁の内側での友好関係の形成。
□□□
自慢話をしてるつもりが赤の他人から「あんたの苦労話はどうでも良いよ」と横槍入れられて、目から鱗が落ちたことがある。
愚痴が愛情の裏返しだってユーモアがわからん奴だなあ、とその当時はカチンと来た記憶がある。一瞬で総毛立って脳内で赤信号が点火するレベルだった。
まあ、それから時が経過してみると。
理解しにくいもの・感覚が延々出てくるとこいつは愚痴ってばかりだと人間は感じる習性を持ってるんじゃないか、という疑問が湧く。
人間は自己を守る為に排他性を持つ、そして自分にとっての異物を拒絶するための最適のルールをコミュニティに求めているのではないか。
排他性とは攻撃性を暗示する、のではないか?
部活動を選り好みするのは排他的ルールが何かにも基づくのではないか。
そして、精神的なバランスを崩すと、排他的ルールによって今度は自分の首を絞めに掛かる。
自分のプライドをへし折るような、そんな視点で書いた一文を卒論にどうにか捩じ込みたい。
プライドを捨てなきゃ、馬と心が繋がることなんて、ない。
誇りなんて言葉をかざして、自分以外の他者を攻撃するものに貶めてる未熟者が多い、と思うんだ。
本当の誇りなら、絶対に口に出したりなんて出来ない。言葉にするのは詭弁だ。
プライドが暗黒面に落ちると排他的攻撃に移る(自己防衛機能である)、と仮定してみよう。
□□□
うーん、ママンに「お前は私の期待を裏切った」と三時間前に言われたのが相当ショックらしい。
一つ前の記事に出した非実在の法律関連で云々言ってるのも、所詮私は他人を攻撃することで自分の精神を安定させようとしてるに過ぎないんだよ。化けの皮被ってるけどさ。
こういう日常のトラウマがあるから、最終的に人間不信が治らないのかね。
まあ凡人だから、死ぬまでその繰り返しを避けたいと言いつつ避けられないんだろう。
他人を傷付けないストレス解消法って何処にあるんだろう。
まあ我が身可愛さでそんなことを考えている。
□□□
あ、笹木さんが面倒くさい思考に入ったので日記はこれで切り上げます。
自分に正当性がないのは明らかだ、と思っててこれだもんなあ。
正当性がないとわかるからこそ、なにがなんでも自己防衛本能は自我を守る為に無関係な他人の揚げ足を取ることで「ほらみろ、私より後ろ暗い奴がこんなにもいる。だから私は悪くない」と安堵しようとする。
でも、その安堵は仮初めのものだから。まあすぐに苛々しだして、最初とは別の攻撃対象(自分以外の何か)を求める。
本当の安堵を得るには、トラウマの原因と向き合って、原因を解消するしかない。
つまり、当面の間オカンがラスボスってことだな。
トラウマダンジョンのラスボスは大概、身内の誰かか友人になるもんだけど。
良くも悪くも、自己形成の基盤は自己崩壊の原因でもある。
赤の他人の根も葉もない中傷なら、胸に欠片も突き刺さらない。無関心こそが最強の精神バリアなのだから。憎しみではバリアにならない。