【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


 
2005年から続けている日記。劇的な事は書いてません。
※過去記事は、上部に設置してある『 月別表示フォーム』からアクセス可能です。
写真ペタペタ(旧) → http://blog.livedoor.jp/soranosoco/
写真ペタペタ(新)→ https://www.instagram.com/skmk_e
連絡先 → moccadokonsui@yahoo.co.jp
2025/12/31 (Wed)



引っ越しのご挨拶
日記の引っ越し先が決まりました。
https://moccadokonsui.fc2.net/

こちらの記事もテキストのみですが全て移してあります。

実際にいつ店仕舞いになるのかかわからないのですが、コチラの更新はこれ以降はありません。長年に渡りお世話になったalfoo様、本当にありがとうございました!

では皆様。新居にてお会いしましょう。
2023/05/14 (Sun)


引っ越し準備
引っ越し準備
alfooの管理人さんがついに店仕舞いの意志を表明された。途切れ途切れながら長年愛用してきた日記帳なので(2005年からだから、かれこれ18年か)とても残念だけど、毎月赤字という事で無理は言えない。逆に今までよくぞ続けて下さったなと思う。

そうそう頻繁に更新はしないものの、日記帳的な場所はどうしても確保しておきたいから、引っ越し先を色々検討している。昔ココと平行して使っていたエンピツというレンタル日記サービスがとても好きだったのだけど(エンピツがメインでココはそもそもサブだった)、今もサービスは存続しているものの、スマホから気軽に投稿出来るようなアプリ等は無いらしく、書く事のみならず読む事も大変そうで、現在の生活環境には残念ながらマッチしない。
一つ、ココはどうかなーというところがあったので、現在試運転中。しばらくイジってみて良さそうなら本格的に引っ越しします。ココの記事はどうするかなー。一括でデータを保存出来るような機能は無いしチマチマとコピーとかして保存するしかないかな。詳しい人いらしたら教えてください。出来れば引っ越し先に移したい。
2023/05/11 (Thu)


緊箍児
緊箍児
人は所詮腸の乗り物に過ぎないのだから、とにかく腸のコンディションを第一に考えて生活をしていればまず間違いなくしあわせなのでは‥と思ってはいたのだが、もしかしたら50歳になりいよいよ半強制的にそれを実行させられるかもしれない。

我が生誕記念日である13日は朝からお腹の調子が悪かった。痛い。それでも普通に仕事はしていたのだけど、夕方くらいになるとかなり痛みが増してきて、流石に病院に行くか‥と考え始めたのだが、いざ終業すると今度はもう痛くて動けない。そのままベッドに横になってはみたものの(在宅日だった)、痛くて眠る事も出来ない。なんとか朝まで持ちこたえて欲しい。朝が来たらなんとしてでも病院に行くぞと祈るような気持ちで一晩を過ごした。一睡も出来なかったわけではないがほとんど眠れず。それでもなんとなく明け方くらいには起き上がって歩けるくらいに痛みが治まったので、朝イチで消化器系のクリニックに向かい受診。問診と腹部エコーでおそらく憩室炎ではないか?という診断。
痛いのはお腹の左側で、裏側というか腰の方まで重ダルくなっていたのだけど、腎臓は腫れてないし、卵巣は少し腫れてるけどその部分を押しても痛がらないしこれは排卵前なのかなーという事で(排卵前に少し腫れるのは婦人科でも指摘されている)、多分腸の問題で憩室炎ではなかろうか?という判断でした。憩室炎というのは初めて聞いたので「けいしつえんって言いました?それはなんですか?」と訊いたら「腸のくぼみに便が溜まって炎症を起こすことがある」とサラっと説明されたので、その時はへぇー、ふぅーんと聞いていて、痛み止めと抗生物質とお通じの薬を処方されて終了。「落ち着いたら一度(腸の)中を見てみてもいいかもね」とは言われたけど強く勧められるわけでもなく、こちらとしても「そうですねー。年齢的にも内視鏡検査はやったほうがいいなとは思ってるんですよねー」とかなんとか答えて「薬を飲んでも治らなかったらまたくればいいですかね?」と確かめて帰宅。

痛み止めは頓服だし、我慢出来ないくらいの痛みでは無くなっていたので結局飲まず。抗生物質を4日間飲んだら今日になってなんとか無痛状態になった。(昨日まではそれなりに痛くてお粥とりんごで乗り切った)

で、医者がサラッと説明していた憩室炎を自分で調べてみたら、これがなかなかやっかいそうじゃないか。そもそも憩室とやらは誰もがあるわけじゃないようだし、憩室それ自体はあっても問題は無いけど、憩室炎を一度やると何故か繰り返す人が多いようだし、症状が酷い人は即入院!絶食!抗生物質点滴!らしい。さらに悪化すると憩室が破れて(?)腹膜炎になり最悪死に至ることもあるとかないとか。上司のお友達がやはり憩室炎で入院して(ものすごい痛みで救急車を呼んだらしい)再発に怯えているという話も聞いた。

まあ今回の痛みが本当に憩室炎なのかどうかは正直わからないので、一度大腸内視鏡検査は受けてみることにした。最近お友達が初めて検査をしてもらったのだけど、その話を聞いて俄然興味が湧いていたところだったので丁度良かった。

今回行ったクリニックでお願いしても良かったのだけど、色々調べたら区内にとても評判の良いところがあったので、電話して経緯を話したらなんにせよ内視鏡検査をするには事前の診察は必要だとのことなので、今日行ってレントゲンを取ったり血液検査したりして、結局炎症が完全に治るまでは内視鏡検査は出来ないので(検査前の下剤を飲めないからだそうです)、2週間後に再度行ってその時に検査計画を立てることになった。そこの先生がなんというか妙に上機嫌で変わった雰囲気の方で面白かった。
人気のある病院みたいだし、土曜日が希望だし結構先になりそうだけど、初内視鏡楽しみだな。お友達の話だと、鎮静剤を使って検査してもらったら痛くないどころかむしろ気持ちよかったという事だったので、ぜひ体験してみたかったのだ。ふふふ。

で、一番最初の話に戻るけど、これが本当に憩室炎だとすると繰り返す可能性があるから腸の状態に気を使わないとならなくなるわけよ。それって悪く無いじゃんねと思った。わたしみたいにダラけた人間は放っておくとどんどんダメな方向に向かって行くから孫悟空の輪っかみたいなのがあった方がいいんだよ。あれ、緊箍児(きんこじ)っていうらしいですね。今調べた。生誕50周年記念のプレゼントとしてはなかなか気が利いているのでは。腸の状態がよかったら人間だいたい機嫌良くしあわせでいられるんだ。それは絶対に間違い無いですからね。は。今日の先生が妙に上機嫌なのはもしかしたら職業柄、腸の状態が絶好調だからなのでは‥。

ちなみに今は大変元気で、雨の中無闇に歩いたり、昨日までお粥とりんごで生活していたので無痛になったのを良いことに何か色気のあるものを食べたいと思い、クリームたっぷりのケーキを食べたり(←そういうところだよ)、トマトとツナのリゾットを作ったり、歌ったり踊ったりしてます。家で。楽しいです。でもお酒はしばらく控えます。多分。
2023/03/18 (Sat)


吹き続ける風
吹き続ける風
人の気持ちというのは誠に一筋縄ではいかないものである。自分は『癒やし』という言葉がいやらしく感じて嫌いなんだけど、傷ってのは癒やせばそれで人は満足できるんですかね。

小沢健二が『流れ星ビバップ』で“時は流れ傷は消えてゆくそれがイライラともどかしく”と歌ったけれど、言い得て妙とはこの事だし『ある光』では“麻薬みたいに酔わせてくれる痛み”とも言っていて(その痛みは解く事になるのだけど)、傷や痛みというのはある種の中毒性があるし、手放すには惜しいという気持ちも人として特段なんということの無い普通の有り様ではないだろうか。助けを求められてもいないのに(←ここ大事)人の痛みに手を出そうとするんじゃねーよと思うような場面はたまにあって、まあなんというかイライラする。

痛みを手放さないような、解決しないような、そのような(あるいはそのように見える)有り様というのは生産性が無いように見えて気になるのかなとは思うけど、心の中で「うるせーバカ」と言って終わらせたい。(そしてそっと離れる)

先日友人と話していて思ったのだけど、エネルギーの通過ポイントであるというのが我々の本質的な存在意義で、つまりなんというかバランスを取るために動き続けている『状態』こそが世界というものであって、気圧の不均一を解消するために風が吹き続けるように、あらゆる状態の点である我々があって、その不均一を解消するためにエネルギーは動くしかなくて、だからこそ世界が成り立っているわけで、個体としてはそれぞれ悲喜交交ストーリーはそりゃああるけれども全体として見れば(ここでいう全体ってのは社会という意味ではない)どうということもないというか。もちろん個体として「もっとこういう状態になりたい!」と希望するのは別に止めはしないが、それが全てではない。

なんて事を最近考えたりしました。気持ちは自由なんでね。
2023/03/10 (Fri)


万物の祈り
万物の祈り
久しぶりに風邪を引いた。
火曜日の朝(テレワーク日)どうしても布団から出られなくて頭の中で当日やることを思い出しつつ午前休ならイケると判断していそいそと上司にメール。この時点では特に自覚症状もなかったので「あるあるこういう日。理由もなくサボりたくなるんだよね〜」とか思っていたのだけど、結局その日の夜から発熱は無いものの咽頭痛が酷くて「すわコロナか!?」とビビり翌日医者に。結局コロナでもインフルエンザでも無く熱も微熱程度だったので喉の炎症を抑える薬だけもらった。3年ぶりに発熱するかなと思ったけど不発。そろそろガッと熱を出したいところだけど、喉の薬のせいだろうか。
祝日は1日寝て過ごして、今は鼻水と咳だけ残っている。鼻のかみすぎで顔面がガビガビである。(鼻水は花粉の影響もあるのかもしれない)

喘息持ちのせいか、一旦風邪をひくととにかく咳が酷く長引いてしまう。昔から気管支は弱かったのだけど、数年前に喘息を発症して(もしかしたら発見なのかもしれないが)、それから吸入ステロイドを日々使用している。

この喘息については本当に後悔している事がある。数年前に風邪をきっかけにして本当に咳が酷くて酷くて酷かった時に、謎の意地ですぐに病院に行かなかったことだ。薬に頼らずに自力で治す事が大事だと思いこんでいたんだね。しかし結局何をやっても改善するどころか酷くなるばかりで、夜も眠れない、咳のしすぎで失禁までするようになってようやく病院に行ったのだけど、あの時すぐに診てもらっていたらもしかしたら管理薬なんて不要だったのかもしれない。
管理薬という言葉があるのかどうか知らないけど、日々使用している吸入ステロイドは結局予防のために症状が無くても毎日使用し続けなくてはならないんだよね。症状が無くても気管支の炎症は常にあるそうなので、それが酷くならないように日々コントロールしないとならないってわけ。なんの自覚も不都合もなくても朝晩吸入。面倒くさい。(正直サボる事だってままある。)吸入後は絶対にうがいをしないとならないし、それでも薬の影響で声が枯れる。薬代診療代だってバカにならない。本当に本当に後悔してる。
何でもかんでも薬に頼るのも考えものだけど、適切なタイミングで適度に使うべきものってのはやっぱりあるね。あの謎の意地は一体なんだったんだ。まあでもちょっと発熱したからってすぐに解熱剤を飲むのは反対だけど。自分、発熱好きなんで。

っていうか、火曜日の朝の自分すごいな。自覚はなくてもやっぱり身体は休息を求めていたんだね。健気で愛おしいじゃん。

----------

『万物の祈り』という祈りがある。
この一年、毎朝必ず某所にこの祈りをアップしている。つまりロシアによるウクライナへの侵略戦争とされている何かが始まってから。
万物の祈りをアップしたところで『わたしという個人』が、誰かの心にがすごく影響を与えたり、世界に影響をもたらしたりするわけではないんだけど(それでもいつも反応してれる方もいらして、それはもちろんわたし個人としてとても嬉しい。ありがとう。)、なんというかあの文字列、文字の形を少しでも世界に刻めればいいなとかそんな感じ。なんか刺繍みたいなものだと思ってる。まあ普通にコピペなんだけど。ははは。

本当はどこにも誰にも公開なんてしなくて、毎日自分のノートにでも書いてりゃその方が良いのではとも思う。たぶんそういう人ってたくさんいるんじゃないかな。でもやっぱり人に見てもらいたいんだね、きっと。わたし個人として。そんな自分が可愛いくて好きさ。

----------

万物がしあわせでありますように

万物が幸福でありますように

万物が幸運でありますように

万物が愛でありますように

万物が調和でありますように

万物が平和でありますように

宇宙のすべてに祝福が与えられますように
2023/02/26 (Sun)


119104
119104
我が家の近所に梅が有名な公園があるのだが、昨日は母をそこに案内した。本当は坂東三十三観音巡りで鎌倉まで行く予定だったのだけど、そう言えば以前その公園の話をした時に「梅の季節になったら行ってみたい」と母が言っていたのを思い出したので。
鎌倉まで行くのが面倒だったというのも正直あると言えばあって「近場で済ませてやろう」というわたしの身勝手な思惑を他所に本人は楽しそうだったので何より。
梅を見た後はわたしの散歩コースをブラブラと案内しつつ世田谷の宝であるハンバーグを食べに行ったり、わたしの大好きな喫茶店に連れて行ったり。

歩きながらする会話が好きだ。同じ方向を向いて同じ方向に歩を進めながらする会話がなんというか一番ナチュラルな自分を出せる気がする。向かい合ってする会話は、相手にもよるけど緊張してちょっと苦手だ。

少し前に母がお墓を購入したのだが、後日談が面白かった。母の昔からのお友達が、母の隣のお墓を買ったのだそうだ。友人同士で隣に埋葬されるってのもなんというか現代的で悪くないなと思った。あと、なんとそこの墓地の管理のお仕事をさせてもらうことになったのだという。管理というか、まあお掃除とかなんだけど、我が母ながらなんというか流石だなと思った。
シルバー人材センターに登録はしていて、月に何回かバイト(?)はしているんだけど、不定期だしもう少し稼ぎたいんだと前から話していたのだ。その墓地の営業のお姉様と仲良くなって向こうから「ちょっと人手が欲しいんですけどどうですか?」と持ちかけられたそうだ。母という人はそういうところがある。まあまあ紆余曲折色々あって別にウハウハ的な運の良さがあるというわけではないんだけど、なんとなくいつも人に恵まれてなんだか大丈夫というか。人徳ってやつなんですかね。週に2回1日5時間というから、ちょうどいい感じなのかな。
ちなみにわたしもそのお姉様とは会話したけれど、とてもエネルギッシュで素敵な方でした。
不定期で行っているバイトはお寺の雑用なんだそうだけど、仕事は入ったとしても週末だけで、今月なんか月に2回だけなんだと話していた。そしてお寺の奥さんが癖のある人物で、そもそもそんな事説明されていないというような内容でいつも叱られるのだそうだ。叱られると言ってもガミガミ言われるわけでは無いらしいんだけど。じゃあ新しい仕事も決まったしそのお寺はもう辞めるのかと思いきや、「叱られっぱなしで辞めるのは悔しいから辞めない」だそうで。その心意気や良し。

所有しているマンションの今後の扱いについてもちょっと話したりしていたんだけど、ふと自分がもしも一人暮らし用のマンションを購入するとしたら今くらいがタイムリミットなのかなと考えたりして、なんとなく検索してみたら悪くない場所に悪くない金額の物件があった。今まで考えたことは無かったけど、ちょっと気持ちが動く。来週あたり見に行ってみようかな。


先日、人様の感動を追体験出来るというのは本当にすごいことだと書いたけど、その処理能力の高さが人を苦しめる要因にもなるわけだ。たまたま読んだ四コマ漫画から自分には無かったはずの幸福な記憶を追体験出来る能力は、ありもしない嫌なストーリーをでっちあげて勝手に苦しむ事だって出来てしまうわけで、そこのところは念頭に入れておいた方が良いですよな。人は事実でない事で幸福や苦しみを体験出来る珍しい生き物なわけよ。

『夜と霧』を読み始める。強制収容所の日常はごく普通の被収容者の魂にどのように映ったのか。日常。
2023/02/19 (Sun)


日記らしい日記
日記らしい日記
2月10日(金・無意味休暇)
チラホラ雪。みぞれ。雨。

浅草橋のお教室で肩甲骨の体操を丁寧に行う。その後喫茶店SMELLにてペリカンのパンを使った美味しいチーズオムレツトーストを頂く。無愛想なママと煙草の煙が時代錯誤でグッド。でも多分ママさんいい人だと思う。(そして雰囲気はいいけどタバコの煙はやっぱり辛い)

半年くらい積ん読していた、小澤征爾氏の『ボクの音楽武者修行』を読み始めて、心がみるみる潤ってゆく。24歳の小澤征爾青年が貨物船でスクーターと共に単身フランスに渡る青春冒険譚。当時、氏からご家族にあてて書かれた手紙を元にして26歳の時に執筆したものだそう。1959年とか1960年くらいで、当たり前だけど今のように通信手段が発達していないから、貨物船で2ヶ月かけてフランスに向かう間は、ご家族からの手紙を寄港先で受け取ったりしている。
手紙は良い。伝えたい相手が明確に存在している私的な文章というのは実に美しくて泣きたくなる。

人様の感動を本なり映画なり絵画なり音楽なんなりで追体験出来るというのは本当に凄い事だ。人間ならではの処理能力というのだろうか。もしも今自分が世界にたった一人取り残されてしまったとしても、本屋に行けばありとあらゆる体験がそこにあって、それを追体験出来るだけの能力が自分にはあって、そう考えると心強くなったりならなかったりなど。

2月11日(土・建国記念日)
晴れ

お昼ごろ散歩に出掛ける。公園に行ったら梅まつりが始まっていてなかなかの人手だった。梅は長く楽しめて良い。木に咲く花は好きだ。

よく行く喫茶店に入ろうとしたら満席で入れず。エリアを移して海老とブロッコリーのスパゲティを食べてから新しい古書店に向かう。読書に対する意欲が高まっている。『地下鉄のザジ』の文庫本を購入。字が小さいから読むのが大変そうだ。

You Tubeで小澤征爾氏のドキュメンタリーを色々と漁って視聴していて、彼の師である齋藤秀雄氏に興味を持つ。


2月12日(日)
晴れたり曇ったり

国試から解放された友人と久しぶりにおしゃべり。田園調布にて。

田園調布は友人と初めて会った場所で、20年近くぶり(?)2回目の訪問。駅からすぐのところにある感じの良いカフェで試験の苦労話などを興味深く聞く。40代での猛勉強に本当に頭が下がる。尊敬。

20年くらい前のインターネットがちょうど良かったよねなどと話したりしていたのだけど、そう言えば先日読んだ『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(とても面白かった)によると、Wi-Fiがあまり整備されていなくてほとんどインターネットに接続出来ないキューバでも、若者はiPhoneを夢中で操作しているそうだ。(海外にいる知り合いや親戚から入手したりするそうです)『人間というものはスマホをいじりたい生き物なんだな』という一文が印象的だったな。これは2016年時点の著者の体験と感想だけど、今はどうなんだろうか。

大腸内視鏡検査の話も聞いてとても羨ましい気持ちになった。自分も検査してみたい。良い病院を探さねば。

友人と別れた後、せっかくなので古き良き高級住宅街をぶらぶらしてみた。地図を見ると本当に放射状に街が作られているんだな。今度また改めてゆっくり散策しようと思う。

読んでみたくなって『夜と霧』を買ってみた。えーっとメルカリで。これ、わたしに読めるのだろうか。あと今読んでみたいのが、高知東生氏の『土竜』。文庫になるまで待つかな。


2月13日(月)
曇ったり雨が降ったり

“貧しさが来たら
あははと笑って貧しさを楽しみ
寂しさが来たら
そうかお前が来たかと味わい
豊かな時は分け合って
みんなで笑って
みんなで笑って
その時が来たら
あっけらかんと死ぬのだ”

https://twitter.com/RonielYamato/status/1363150720032153606?t=-iCcWTxk34Bqv02GnB7wiw&s=19

そうだそうだ。
わたしはそのように生きて死のう。
2023/02/13 (Mon)


砂糖に埋める
砂糖に埋める
先日、穴八幡宮で買った金柑の砂糖漬け(?)が忘れられない。立春の土曜日に古いお守りを納めに行ったのだけど「ひょっとしたらまだ出店があるかも‥」との淡い期待は見事に打ち砕かれました。あの山のようにあった金柑の砂糖漬け(?)はどうなったのだろう。あの出店の人達はどこに行ってしまったのだろう。

お友達が「これなら似てるかも」と教えてくれた、金柑の甘納豆なるお菓子を探し求めて銀座に行った。無事に見つけられたのだけどびっくりするくらいお高かった。貴族のお菓子かな。
それでも一袋購入して頂きました。こ、これは確かに美味しい。間違いなく美味しい。よいお菓子を知ってしまったと心から思う。だかしかし、穴八幡宮のアレとはちょっと違うんだな。多分上品すぎるのだと思う。丁寧に仕上げられた高級お菓子なんだね。穴八幡宮のアレはもっと雑な保存食って感じ。

これはもう自分で作るしか無いと思い、とりあえず金柑を買ってきてそのまま砂糖に埋めてみました。色々調べたけど甘露煮みたいに火を使うのも面倒だなと思い、砂糖に埋める(いや別に埋めるとは書いて無いが)レシピがあったのでそれを採用。消毒した瓶に砂糖と丸のままの金柑をギュウギュウ入れた。金柑の水分で砂糖が溶けたら完成らしいが、どれくらい待てば良いのか全然わからない。丸2日経過したが、今のところ変化があるようには見えないな。砂糖漬けが完成したら、グリルで少し乾燥させてグラニュー糖をまぶしてみようと思ってる。(甘露煮をオーブンで少し乾燥させてグラニュー糖をまぶしている人がいたので)。上手くいったら毎年の恒例にしよう。

銀座はお友達と日本橋からブラブラ向かって行ったのだけど、「都会だね〜。都って感じだよね〜。キラキラだよね〜」とかキョロキョロしながらずっと言っていたら「なんか‥疲れてるの?」と怪訝な顔をされてしまった。いや、普段見慣れている新宿とかとはやっぱり全然違うよね。ほんと都って感じする。7万円のブラウスを見てうっとりするなどした。

ひょんな事から若林正恭氏の『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』という書物を読んでみたくなって購入。さきほど読み始めたのだけど、これはとんでもなく面白そうな予感。5日間の夏休みにキューバで一人旅をする話になんだけど、なぜキューバだったのかってところがもう面白い。ワクワクする。

『リア王』読み終えたけど、例の「お前が嫌いなのは俺であって俺の意見じゃないだろう?」ってセリフは出てこなかった。他をあたる。それにしても罵詈雑言のバリエーションが凄くて凄かった。
2023/02/07 (Tue)


立春
立春
立春。新しい春の始まり。
友達が「立春前の事は全部『前世』」と言っていたけれど、最近ある案件で鬱々としていた自分にはこれがとても響いた。

生きながら生まれ変わって良いタイミングってのはあるんだよね。しかもけっこう頻繁にある。年末年始なんかはわかりやすく死と再生の疑似体験って感じがするけど、そういうタイミングに自分を上手に乗せられるかどうかってのはすごく大事だ。

全体としてのエネルギーは常に変化するのに、個体の意識は連続しているから、THE FOOLというわけにはなかなか行かないが、こういう大きな新しい流れにはサクッと乗っていこうぜ。

ハロー新しい世界。

--------

お笑い芸人の九月氏のこれが良かったから貼っておく。

https://twitter.com/kugatsu_readio2/status/1621532349858222081?t=--UltYyg44xflT9E-yIIrA&s=19

【相談】
「さみしい」と「好き」の見分けがつかず切実に困っています。

【九月氏の回答】
そもそも近いと思うよ。恋愛感情と寂しさを対極に置いて、寂しさだけだと駄目かなと考えるのってめっちゃ近代的というか、文明化された考え方だなって思う

身体の持っている機能とか反応的な部分ではある程度近い神経が動いているに決まっていて、人が抱える寂しさは思っているほど軽い寂しさじゃない

人間なんかどこまでいっても生き物なわけで、コミュニティに属さないと死ぬ期間が長かった(引きこもれるようになったのなんて最近に決まってる)のだし、「本当の恋がしたい。でないなら迷惑かけない範囲で一人で生きていたい!」なんて選択肢がありうるのも、めちゃくちゃ文明の産物なわけでしょう

だからなんだ、あんまり感情としての寂しさを軽んじなくていいと思うけどな。恋をしている最中にあっては「寂しさ」と「好き」って灰とダイヤモンドくらい違うものに見えるけれど、形が違うだけでどっちみち炭素と炭素でしかない、みたいな
そういうものだと思う

だからなんだろうね、自分の持ってる寂しさとか、なに、嫉妬心、独占欲、マウント魂、そういうものを「自分には、よこしまなものがある!」と思って反省しつつ自己嫌悪するルートって、文明的には正しいし、俺なんかはそっちに行きがちなのだけど、実はこう、身体に対しては一定の無理もあるわけだよな

程よく発散したり、自分で自分を許したりしないといけないんだろうね。その行程を他人と共同作業できる(たとえ恋が成就しなかったり、一人でいたとしても相手の目線を含めながらできる)ことが恋愛の醍醐味だと思うので、寂しさすら楽しんで愛せたらいいな。いや俺も全然できないけどな、目標程度にな
2023/02/04 (Sat)



total : 106022
today : 20 yesterday : 43