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兎の放蕩物語


灼熱の日本列島で…

<e269e>灼熱の日本列島で…
今年は約半分の5カ月を関東の冷蔵庫「中禅寺湖湖畔」で過ごしたので日本列島の夏の暑さにウサギは体力を消耗し疲れています。

沼津に今は皇室が利用されていませんが御用邸があるように夏でも西伊豆の高台のアトリエは東京よりもかなり過ごしやすく乾いた風が駿河湾から吹きよせ快適なはずだったのですが、今年は東京での車の仕事を済ませ西伊豆に移動したころに大型台風が長期間滞留し、湿った風が駿河湾を覆い東京と変わらない寝苦しい毎日を過ごしていました。

高松に続いてこちらでもエアコンの増設をして何とか凌ごうと考えましたが、工事が9月にずれ込み、それでは高松に移動しようかということになり西国に移動をしたウサギです。

今となっては早めに終了できた中禅寺湖の保養所運営の日々の標高1300mの冷涼な気候が恨めしい限りです。
19/08/21 (Wed)


久々に高松で休養できます

久々に高松で休養できます
西伊豆の環境整備も終了して、東京オフィスでの新車の納車の打ち合わせも終わり高松にゆっくり滞在出来ることになり、梅雨が明けたばかりの25日 愛車クリスティーヌ(Mercedes)で高松のセカンドハウスに向かいました。

明石海峡大橋を渡るとちょっと早いのですが、本州から淡路島に渡るのでもう四国についた気分になります。この橋が出きるまでは山陽自動車道を岡山まで走って瀬戸大橋から高松入りしたものです。

今回は家主さんの好意でエアコンを増設してくれることになりここ西国・高松の暑さは大変なものなので ほっと胸を撫で下ろしています。

長くお付き合いしているとコミュニケーションも取れてありがたい配慮をいただきました。

来週末は目の前で花火が上がるので親しい方をご夫婦で招待させていただきホームパーティを開催します。
19/07/28 (Sun)


Kei坊 ありがとう!

Kei坊 ありがとう!
中禅寺湖でジープ代わりに活躍してもらおうと昨年暮れにうちに来てくれたKei坊。

軽自動車のSUVタイプで車高も高くVWポロのスタッドレスを履かせて日光の雪のいろは坂で活躍してくれました。
今月その役目を終えて、都内の新しい飼い主の元に嫁いでいきました。車名が● Kei ●というスズキの自動車の最終モデルで家でもK坊と名付けて兎のエンブレムを付けて可愛がられました。

高松ではうどん屋さん巡りの宿毛君、また最近下取りで東京に入庫したオサム君など維持費の掛からない足車がいつの間にか増えてしまったので台数を減らす為にもお別れした次第です。自動車の仕事もいつまで出きるかわかりませんがどんな小さな車でも またはるか遠く海を越えてやってきた異国の個性ある好きなスポーツカーもウサギにとっては家族同様の仲間です。
19/07/23 (Tue)


遊牧民としてまた生活が自由になりました!

遊牧民としてまた生活が自由になりました!
限られた時間で週に3日自由に休めてもやはり遠い北関東の日光。

東京に帰ってもあまりゆっくり出来ず、高松には何カ月も行けず、西伊豆のアトリエも草ぼうぼうの状態が続き、やはり縛られて生活するのは精神的にも良くないと判断して初期の立ち上げの責務を果たし宿泊客も順調になってきたのでこの辺が潮時だと16日に後任者に引き継ぎを済ませて西伊豆にひとまず帰還。

長引く梅雨の雨ですっかりかび臭くなってしまった家の換気と掃除、そして除草作業をこの二日間続けて元通りの海の見える高台の一軒家と置いてきたスポーツカーのメンテもすませひとっ走り峠を走らせてきました。

来週は高松で夏を満喫する予定です。
19/07/18 (Thu)


🐇耳が大切なのに…😢

🐇耳が大切なのに…😢
ウサギにとっての耳は命の源なのに…

ミッションが終了した安堵感とやれやれという気持になって気が緩んだのか喉を痛めてしまった。地元の診療所の誤診で抗生物質の処方箋が出してもらえず東京に戻る際にいろは坂の下りで鼓膜がいつものように一回唾を飲んで戻るはずが戻らなくなり難聴状態で東京の耳鼻科に駆け込みました。

滲出性中耳炎だそうで炎症を抑えるためのたくさんの薬をもらってようやく回復してきました。子供の病気だと思っていたのにウサギが掛かってしまいましたが、それだけこの国際リゾートのミッションを大切に考え真剣勝負してきた5カ月だったんだと改めて再認識した次第です。まだ耳をぴくぴく云わせながら次のことを考えるウサギです。

いやはや複雑な耳の構造図です。喉と鼻と耳は繋がっていて喉の炎症が耳まで伝わってしまうのは怖いですね。
19/07/12 (Fri)


七夕さまの今日 間もなく解放へ…

七夕さまの今日 間もなく解放へ…
もういくつ(8日)寝ると自由な遊牧民に開放される!

2月から足掛け6カ月、旧態依然とした企業の保養所を国際リゾートにふさわしい施設に作り替える試みにリゾート会社の社長と共にオブザーバー兼実務責任者としてここ奥日光中禅寺湖畔に張り切って赴任したウサギ🐇

まずは最初の使命を全うしたので晩年第三の人生の🐇はこの辺でまた自由人に戻ろうと思います。
やはり自分の理想の運営とはなかなか合致出来ずストレスばかりが溜っていきました。

あと9日間、二組のゲストを無事送り出してまずは東京に戻ります。
ここで蓄積した旅館業のノウハウ・これからの時代の宿泊施設のあり方のついて本当に勉強になりました。西伊豆の物件を今後、簡易宿泊所として登録しバイクのライダー向けのガーデン喫茶兼宿泊可能施設として再稼働させる予定です。

昨日はこちらで企画した「国際リゾートプラン」に沿った塾年のご夫妻二組を迎え、ようやく🐇の理想とするリゾート地での過ごし方やワインのある食事を堪能していただき満足されてチェックアウトなさいました。こんなお客さまが多ければまだ続けてもいいなとも考えますがやはり全体的には低学歴・低所得で教養も文化の理解もない方たちばかり相手にしていると自分が駄目になると感じています。
19/07/07 (Sun)


瀬戸内海・駿河湾そして中禅寺湖

<e169e>瀬戸内海・駿河湾そして中禅寺湖
ウサギは晩年になって海や湖の見える場所(主にリゾート地)に住む願望が叶い、東京で仕事をしながら 58歳で河口湖の鳴沢村 62歳で西伊豆駿河湾の夕日が綺麗な戸田地区の高台の集落、そして今年は67歳で 日光中禅寺湖に管理を任された臨時の館(山荘)を持ち今現在8年も家を維持している瀬戸内海を含め東京の自宅兼オフィスとは別に地方に3カ所のゲルを持つ移動民族として晩年は自由な遊牧民生活をしています。

写真は奥日光中禅寺湖のクルージングイベントでジャズライブの90分の湖クルーズに23日の日曜日に宿泊されたゲストのお客さまご夫妻と参加した時のものです。
19/06/28 (Fri)


今週は高松に帰る🐇

今週は高松に帰る🐇
高冷地日光・中禅寺湖は梅雨の季節に入り気温がぐっと下がってしまった。

昼でも8℃〜9℃とかなり冷え込んでいます。
週末に続いたゲストがチェックアウトして束の間の休息をとりながら明日から一週間わが館を閉めて久々の高松に心がはやります。

瀬戸内も梅雨の時期ですが、やはりきれいな瀬戸内海を見ながら暮らせることは晩年の幸せなひとときなのです。

といっても明日は早朝から千葉中山で新車の商談で営業の方と合流、午後には東京自宅に依ってそこから西伊豆そして高松と自分の好きなことで忙しくなるのは気持ちがへこまないだけ慌ただしくもため息も出ない幸せな瞬間です。
19/06/10 (Mon)


人は弱く彷徨える子羊

人は弱く彷徨える子羊
ウサギは子羊ほど柔ではありませんがここ数年教会を離れているとやはり怒りっぽくなっていて感情をすぐに出してしまいそうになります。

リゾート施設の運営を巡ってオーナー・管理会社・そして実際の運営責任者であるウサギの3者協議がここの処かみ合わずストレスがたまります。

年間を通じて均一に誘客をしたいウサギは様々な宿泊プランを具体化し打診していますが前者の二つが決められた年間カレンダーに沿って運営したいという週末・連休集中型にこだわり施設を預かるウサギの理想とかけ離れています。

また宿泊者のレベルも当然料金が安いので低く、ギャラリーとして多くの世界の名画を自費で持ち込み展示していますが、興味のある宿泊客は稀で、ただ温泉とカラオケが命という方たちばかりでこちらの意向となかなかかみ合いません。

やはり人さまの所有物件でこちらの自由にすべてを運営するというのはなかなか難しいものです。
当初約束の立ち上げに協力してスタートレベルまで何とか漕ぎつけたのでこの辺で身を引こうと考えています。

コンシェルジュデスクの背中にマリア様の絵を置いて後ろから私を導いてもらえるよう6月から変更しました。

神のお導きによりウサギは決断をするつもりです。
19/06/07 (Fri)


モネの家の食堂と私の館の共通性

モネの家の食堂と私の館の共通性
セーヌ川沿いの街をパリから遠ざかりながら転々と家を移り歩いたモネとその新しい絆ができた家族たち内縁の妻と連れ子6人を含む合わせて9人の世帯です。

終の棲家ジヴェルニーに落ち着いたのは彼が最初の妻カミーユと死別して6年後の43歳の時でした。

そのジベルニーの家をフランスに訪ねたときにモネの家の食堂を見て立ち尽くしました。
まだ行ったこともない極東の島国の浮世絵を多く手に入れて壁一面に飾っていました。

その時の印象はずっとウサギの脳裏に焼き付いていて日本の家屋に住んでもダイニングテーブルや明るい色のテーブルクロスにこだわるようになり、場所を変えて中禅寺湖でお預かりしている館のダイニングルームにそのモネの食堂の記憶が蘇ってきていつの間にかこの部屋はモネのギャラリーになっていました。

そんなことをして気を紛らわしてはいますが、なかなか自分が思うような顧客層が2カ月ではまだ確立できていません。それが悩みです。

19/05/28 (Tue)


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